どういうわけか本当に、先生は私が好きらしい。
この時になって、私は初めてそのことがわかった。
職場ではすでにさんざん噂になっていて、一向に応じない私の高慢な態度を非難する声もある。
だけど、そもそも私は先生の気持ちを信じていなかった。

私が少なからず衝撃を受けている間、先生は、あーでも「最終的」っていうとそれが目的でゴールって感じがするから違うかな。ゆくゆくはそういうことも視野に入れた上で……とかなんとか言っている。

『そうですか』

『興味持ってもらえました?』

『いえ』

無灯火の自転車が近づいてきて、先生は私をかばうように道の端に寄せた。

『すみません。ありがとうございました』

アクシデントで近づいた距離を、先生は元に戻そうとしない。
背中に回された手もそのままだった。

街灯とショッピングビルの灯りで、通りはかなり明るい。
先生の喉仏が、すぐ目の前に見えた。

『差し出がましいようですが、』

先生は、言葉をこぼすように言った。

『……はい』

『もう、やめませんか?』

なぜいつも休診日の前日に誘うのか、気づいていないわけじゃない。
その日は、誰かと“約束”していることが多いのだ。
だからこそ、先生は好意からではなく、素行の悪い生徒を尾行するような鬱陶しい正義感で、私を正しき道へ導こうとしているのかと思っていた。

けれど、俺のことはいいですから、もうやめましょうよ、とつぶやく声はいつになく悲痛で、私をひるませた。

『……お説教ですか?』

先生の手に力が込められた。
もう少し強ければ、その胸に倒れ込んでいたと思う。

『いいえ、セクハラの口実です』

先生は冗談めかしてそう言ったけれど、めずらしく失敗した。
失敗した笑顔で手を離す。
幾筋かの髪の毛がその手にさらわれて、はらりと落ちた。
解放されたのか、取り残されたのか。
私は一瞬、わからなくなる。

背中に残る指の記憶は、あれから何度シャワーを浴びても消えない。

もう誘うのはやめてください、と言おうかと思ったこともある。
なんで私なんですか、と聞いてみたい気もする。
本当に嫌がることを寺島先生はしないし、聞かれたことには真面目に答えてくれるだろう。

けれど言わなかった。
自分が聞かれたくないなら、相手にも聞いてはならない。
何かを尋ねるということは、相手を自分のテリトリーに招く覚悟が必要だ。

遮光カーテンの向こうに明かりが差すころには、天井も色味を変える。
昨日聞いた予報によると、今日も晴れるらしい。
日曜日は休診日なので、時間は確認しない。

感心するほど続いていたお誘いは、ついに昨日途絶えた。
寺島先生がセミナーのため出張だったせいだ。

院長や他の誰かと会うことにも、寺島先生の誘いを断ることにも、罪悪感はない。
それなのに、先生の指の記憶と、あの声が消えない。

天井には、昨夜から変わらずシャンデリアの明かりが映っている。
けれど、迫りくる太陽の光に遠慮するように、存在感を弱めていた。

明日は資源ゴミの日だったな、と思い出す。
院長を起こさないように、私は慎重にベッドを抜け出してシャワーへ向かった。