かつて見たさまざまな天井を、存外よく覚えているものだと思う。
実家の板張りの天井には、顔みたいな木目があった。
それが怖いと言ったら、母がアニメキャラクターのポスターを貼ってくれた。
初めて独り暮らしをしたアパートの天井は白くて、なぜか段差があった。
憧れて買った小さなプラネタリウムが、いつも歪んで映った。
今は、規則的に揺れる視界の端に、小ぶりのシャンデリアが見える。
ろうそくを模したLED電球が六灯、淡い明かりを天井に映す。

目を閉じると、黒いペンダントライトが眼裏に浮かぶ。
純也の部屋の天井は壁と同じモルタルで、こだわったというペンダントライトが、ズラリといくつも並んでいた。
とても個性的なのに、細部はよく覚えていない。
天井の色は薄いグレーだったと思うけれど、黒だったかもしれない。
いや、茶色だったか。

いつの間にか眠っていた。
時計を確認すると、ほんの一時間ちょっとのことだった。
隣から院長の寝息が聞こえる。
少し口が開いていて、私が奥さんなら、その無防備なところを愛しく思うのかもしれないと想像してみた。

寝直そうと目を閉じるものの、眠気はすでにどこかへ去っていた。
眠れないまま見上げる天井に、もう煙の気配はない。
あの煙はもしかしたら雨雲になって、梅雨を呼んでくるのかもしれない。
眠れない夜の天井には、妄想も魑魅魍魎も思い出も、あるゆるものが混在している。

『紀藤さん、今夜ホテルに行きませんか?』

火曜日の帰り道、いつの間にか隣を歩いていた寺島先生が言った。
映画に誘うような口調だった。

職場から駅までは徒歩十分。
そこから私はバスで、先生は月極駐車場に停めてある車で、それぞれ自宅へ帰る。
逃れようのない状況だった。

『……食事ですか?』

そんなわけないでしょうけど、というニュアンス混じりで聞き返した。
水曜は休診日なので、あの夜も院長との約束があったから、どういう意図であれ断ることは決まっていたのに。

『まさか。ホテルが嫌なら、俺の部屋でも紀藤さんの部屋でもいいです』

『……お断りします』

『紀藤さんの部屋を?』

『全部です』

これまでになくキッパリ言ったつもりなのに、声には拒絶よりも、戸惑いの分量が多かった。

『そうですか』

寺島先生は、ただの挨拶みたいに答える。

『先生は』

『はい?』

『私と寝たいんですか?』

先生は意外なことを言われたみたいに、絶句して自身の顔を覆う。

『なんですか?』

私は横目で先生を睨んだ。

『いや、自分からこの話題ふっておいてなんですけど、直球で返されると動揺しますね。汗とドキドキが止まらない』

物理的に心臓を止めようというのか、こぶしで何度か胸を叩いている。
それから、

『うーん、まあ……最終的にはそうです』

と答えた。
宵闇で、はっきりとはわからなかったけれど、少し顔が赤いような気がした。