予約時間の少し前に到着した。夕方だから、少しはすいてるのかと思ったら、意外に混んでいた。

「お荷物お預かりします」

 小さなバックとコートを渡して、空いている席に案内されて、鏡の前に座る。
 相変わらずのハワイアンののんびりした空気と反するように、フロアを慌ただしく動き回る人々。
 
 ――クリスマス直前の自分磨きかな。

 今の自分とは縁遠いな、と苦笑いしながら、鏡の自分と向き合う。
 転職と同時に別れた彼のこと思い出し、笑顔が引っ込んだ。

「お待たせしました……どうかしました?」

 いつもの穏やかな微笑みで現れた黒川さん。
 メガネの奥の優しい眼差しが、少しばかり不審そうに問いかけてくる。

「あ、いいえ……今日もいつも通りでお願いします」

 取り繕うように笑顔を張り付けて、鏡越しに答える。
 今日の黒川さんは白いシャツに細身の黒いパンツ。ちらっと見える鎖骨に目を奪われる。
 優しく私の短い髪をなでながら、

「では、彼がシャンプーさせていただきますね……野村、あと、よろしく」

 ニッコリ笑って、他のお客様のもとへ。
 後を任された野村さんは、女の私からみてもかわいい感じの男性。このまま女装させても、イケるはず。

「久しぶりですね」

 ニッコリと音がしそうなくらいの天使の笑顔。
 ここの美容院、イケメン比率高いな、と、心の中で苦笑い。

「あ、はい。よろしくお願いします」

 黒川さんとは、また違う緊張感。あまりにかわいすぎて、近寄りがたい感じ。

「フフフ、では、シャワー台のほうにどうぞ」


 椅子から立ち上がると、隣に立つ野村さんが、そっと二の腕に手を添えた。
 それが嫌味に感じないのは、彼の女性的な雰囲気のせいか。
 163cmの私より少し大きいくらいの彼だから、圧迫感もなかった。

 ――きっと、もてるんだろうなぁ……どっちにも。

 ふっと横を見ると、目の位置に彼の赤い唇があって、正直、ドキッとした。




 シャワー台は、一番無防備になる瞬間。完全に相手に身をゆだねてる。どのスタッフさんであっても。
 でも、野村さんでは、なぜだか緊張したままだ。
 柔らかい指先での頭皮のマッサージは、気持ちがいいんだけど、変に緊張して、首から下はガチガチ。
 午前中に行ったマッサージの意味がない。

「クスクスッ」

 野村さんの抑えた笑い声が聞こえてくる。

「そんなに緊張しないでください。僕、シャンプーしてるだけですから」

 耳元で囁く声は、変に色っぽい。絶対、揶揄ってる。

「早瀬さんって」

 ガーゼ越しでは、どんな顔してるか、わからない。

「彼氏いるんですか」
「今は、いません」

 ボソッと答える。

「へぇ、意外」
「野村さんは……モテそうですね……」
「そう思います?……おかゆいところはございませんか?」

 一々、耳元で囁かれるように言われているようで、ザワザワする。
 実際は、そんなことないはずなんだけど。

「だ、大丈夫です」

 ゆっくり椅子が戻され、タオルドライ。

「お席にどうぞ」

 ここはホスト? と思うほど、エスコートされてる気分になる。

「軽くマッサージしますね」

 手にローションをとって、頭皮のマッサージ。
 小柄な割に、手が大きい。皮膚と捉える感じが、黒川さんよりも柔らかい。
 シャンプー台でも無防備になるけど、このマッサージの時も、つい目を閉じて、無防備な時間になる。
 首のツボをギュッギュッと、押すてくるのが、いた気持ちよくて、
 思わず眉間にシワを寄せながら、ため息が出てしまう。

「早瀬さん……そういう表情してるの、わざとです?」

 ――えっ!?

 クスクス笑いながら、今度は確実に耳元とわかる声。
 思わず目を見開き、鏡越しに野村さんを見た。
 顔が真っ赤になっている私の後ろに立つ野村さん。

「野村さんって、もしかしてSですか?」

 思わず、恨めしそうに見上げてしまった。
 彼は、それには答えず、クスクス笑いながらマッサージを続ける。
 ……意地悪だけど、気持ちいいのが悔しい。

「クッ、野村さん、マッサージの道でもいけるんじゃないですか」
「フフフ、お褒めの言葉、ありがとうございます」

 なんだか、いつものシャンプーの後のマッサージよりも長かった気がする。
 鏡の中から、恍惚とした表情の私が、見ている。

「では、黒川と変わりますね? ちょっと残念だけど」

 ニッコリ笑顔とともに去っていく野村さん。





 ――なんか、疲れた。はぁ。