富浜さんが帰って、次の子は永喜(ながき)メーア、ビーグルの女の子。

 御年十六歳だって。人間でいえば、七十五歳くらい。

 カルテが教科書みたいに分厚いし、最初のころのカルテは色落ちしている。
 こんなに歴史を感じる薄茶けたカルテ、初めて見た。

 メーア、がんばったな、二度のがんを乗り越えたんだ。
 今日は、がんの定期検診で来院したんだね。

 他の子のカルテより二分くらいかかって、読み込んでしまった。
 量もだけれど、内容が読みごたえある。

 さっそく永喜さんを診察室に呼び入れる。
 三十代くらいのお母さんと、小学校高学年くらいの男の子。

「こんにちは、お名前を聞かせてもらっていいかな?」
「こんにちは、凜一(りんいち)です。よろしくお願いします」
「ありがとう、凜一くん、よろしくお願いします」

 メーアの鼻の頭は白く、体も白髪混じり。
 足取りは少し頼りないけれど、しっかりと自力で歩いて診察室に入ってきた。

 体重や体温測定をして、問診を進めていると、永喜さんがぽつりぽつりと話し始める。

「昨年、お星さまになったメーアのお母さんも、がんだったんです」
「名前はベルクです」
 凜一くんの声は覇気があるな。

「ベルクちゃんもメーアちゃんも、可愛いお名前だね」
 凜一くんは、多感な時期にベルクを見送ったんだ。

「ベルクもメーアも、海知先生にお願いしてまして。ベルクのときも、たくさんたくさん励ましていただき、感謝しかありません」

 永喜さんは、ほかのオーナーたちと違って、特有の物悲しい雰囲気がない。

 なんていうか、愛犬の大病さえも、人生に与えられたものだから感謝している。

 そんな感じに見えるほど、心が安らいでいらっしゃるみたい。

「一部の病気と違って、がんの場合はベルクが死を迎えるまで、私にはベルクをどう生かしてあげたいのかを、考えてあげられる時間があったんです」

 この言葉は海知先生がかけてくれたそうで、数々の言葉が忘れられないって話してくださった。

「海知先生は、『それは、とても素晴らしいことだと思います』って」
 海知先生らしい優しい言葉が、私の心を包み込む。

「海知先生から、かけていただいた言葉で、私たち家族は、気持ちをひとつにできました」

 永喜さんが凛一くんに視線を向けると、凛一くんが笑顔で頷いた。

「犬友さんたちに、その日が訪れたときは、海知先生が支えてくださったように、私も犬友さんを支えることができます」

 自分たちに起きた現実を、うらむことなく受け入れ、おなじ想いをする周りの人たちを支えるって、並大抵の気持ちじゃできない。

 人に与える影響が大きい仕事なんだと、改めて襟を正そうと心に留めた。