「初めてで......どうしたらいいのか」

 こんな切羽つまった状況に身を置かれたら、なにをしていいのかわからないよ。泣きそう。

「今は、俺と星川しかボンを助けられる人がいないんだよ、がんばれ! 救急カートの左上にある機器を持ってきて」

 指示されるままに急いで手に取り、無我夢中で海知先生の手もとに置いた。
 緊張と恐怖で手の震えが止まらない。

「これで合ってる。星川がいてくれるから助かるよ、持ってきてくれてありがとう」
 こんな私でも役に立てているの?

「ここの緑のランプが、赤になったら教えて」
 いつも通りの口調と声のトーン。

 それに表情も態度も、なにもかもが、いつも通りの海知先生。

 緊急時に最初こそ動揺したけれど、海知先生のおかげで、平常心になれたと思う、たぶん。

「循環器の見逃しは、生死に直結する。急変に気づいてくれて教えてくれて、ありがとう」

「ボンは?」
「ボンは命を取り留めたよ。ボンも星川もがんばったな、お疲れさん」

 汗に濡れて、額にぱらりと垂れてきた短い前髪を、親指で拭きながら眩しい笑顔を向けてくれる。

「初めてだもん、怖かっただろ。震えるほど恐怖だよな、ボンの命をあずかったんだもんな」

 わかってもらえたんだ。目の前で苦しむ、いつものボンじゃない姿は不安で怖かった。

 同時に襲ってきた、どうしたらいいのかわからないプレッシャーと恐怖。本当に怖かった。

「わかるんだよ、星川の気持ち」
 ちらりと一瞬、私の瞳を覗き込んでくる。

「俺が研修医時代にさ、なにがあっても落ち着いているように見えた指導医がいたんだよ。けど指導医も、実はプレッシャーを感じてるって、わかったときに安心した」

 指導医でさえもプレッシャーを感じるんだ? 

「おなじ感情を持つ人間だよ、怖いときは怖いよ」
 海知先生の話は、私の心を平穏にしてくれる。

「それ以来、自分も救急や急変に対処するときには、平静を装って行動することができるようになった」

「平静を装ってですか? 装ってるんですか?」
 面食らってぽかんとする。海知先生も指導医みたいだっていうの? 嘘でしょ?

「動物の命をあずかるっていう、大きな責任とプレッシャーとの戦いの日々だよ。俺だって怖いときがある、足がすくみそうになる」

 独り言とも思える口調が、ぼそっとしていて、いつもの明るい海知先生らしくない。

「急変がとにかく怖かった。死の恐ろしさに対して、冷静になるまでには年月がかかるよ」

 海知先生が優しくて、さっきとは違う意味で涙が溢れそう。

「だれにも内緒な。初めてだよ、こんな弱味を見せたのは」
「約束します」

 私にだけ特別なんだね、これは二人の秘密です。