いつもなら、明るく問診に送り出してくれるのに、美丘さんの表情は変わらず浮かない顔。

 海知先生の顔を見ていた美丘さんが、頭を切り替えて決意したように、私に視線を移した。

「星川さん、ここを見て」
 カルテを指さす、美丘さんの指先に目を落としたら、印がついている。

「覚えておいて、オーナーが気難しい場合の印なの。あと、この印は診察は院長のみ」

 問診するの不安。美丘さんも、やっぱり心配そうな表情と話し方。

「どうってことないよ、行ってこい」
「はい」

 勢いよく行きかけたけれど、安心したくて振り向く視線の先には、なんてことなさそうな、いつもの穏やかな顔をした海知先生の姿。

「大丈夫だよ、俺はここにいるよ」

「もう大丈夫です。海知先生が待っていたいんでしょ」

 海知先生の顔を見たら、なんでもできちゃう気がしたんだもん。不安を消してくれたし、自信もついた。

「なんて小娘なんだ、まいったな」
 海知先生の声を背中に聞いて、診察室に入った。
 
 待合室側の診察室のドアを開けると、さまざまな患畜とオーナーが目に入る。
 長いあいだ待っているオーナーたちは、待ちくたびれた顔。これは、いつもの光景。

 次は、いよいよ、やっと自分の名前が呼ばれるんじゃないかと、期待するようなオーナーの目が、いっせいに私に注がれる。

 ひとりひとりオーナーの目と目を合わせたら、名前を呼ばないと期待を裏切るようで申し訳ない。

 だから、視線は膝のあたりまで下げて、Mダックスだけを探して目で追う。

 診察室の手前、最後に目に入った一番隅に座っている、中年女性に目が留まった。
 Mダックスを抱っこしているから、あの人がオーナーだ。

「棚尾チャカちゃん、お待たせしました、どうぞ診察室の中へ」
「うちの子は、チャカちゃんまでが名前です」
 キッて鋭い目で睨まれた、怖いな。

「大変失礼しました。チャカちゃんちゃん、どうぞ」
 この上ないってほど、最上級の笑顔でオーナーを見つめた。

 ──だが

 オーナー、立たない──

「チャカちゃんちゃん、どうぞ診察室の中へ」
 聞こえていないのかと思って、ゆっくりと言い直した。

「この子は院長が診てるのよ」
 椅子に、でんと座ったままテコでも動かないし、いっさい私と視線を合わせない。

 周りのオーナーも初めて見た光景らしくて、息を飲むような緊張感で、事の成り行きを見守っている様子。

 待合室は重い空気に包まれた。

「院長に診てもらうためには、まず問診をしますので診察室へ」
 動かないつもりか。

「問診が終わりましたら、院長に変わりますので、診察室へお入りください」

 院長に診てほしいんでしょ。
 まず診察室に入って来なきゃ、なにも始まらないよ? ちゃんと問診しようよ。

「必要ないわよ、いつも直接、院長にお話してるから」
 なんて頑固なの、どうにも動かない。

 私、けっこう粘って努力したと思うんだけれどなあ。