「いつも、俺の回りをうろちょろ、うろちょろしてるのがいないと気になるんだよ」

 うろちょろしてないってば。それ、海知先生を見守っているから、おとなな私が。
 アハハハハ、にやにやしそう。

「美丘さんと力丸の調剤をしていました、海知先生は勉強は?」
「休憩する」
「お疲れ様です」
「座れよ」
「いいんですか?」
「いいよ、かまわない」

 海知先生が、ひと息つくようなリラックスした姿勢で、椅子の背に体をあずけた。

「なんだよ、さっきから、にやにや、にやにや。なんか(たくら)んでんのか?」

「違いますよ、人聞き悪い」
「にやにや、気持ち悪い」
「海知先生、口が悪い」
「星川、頭が悪い」
「だから、口が悪い」
「顔が悪い」
「目が悪い」

 こんなところを美丘さんに見られたら、また二人は寄ると触ると喧嘩してって言われちゃうな。

 海知先生は、だいぶ根を詰めていたみたいで、体を伸ばせるだけ天に向かって伸ばして、気持ちよさそう。

 そうだ。

「小型犬特有の、循環器の疾患について教えてほしいことがあるんです」
「ああ、いいよ、どうした?」

 そう言って、いつも優しい瞳で問いかけて、丁寧にわかりやすく教えてくれる。

「人に教えて、質問を受けることで、さらに自分の理解を深める時間が好きだよ、ありがとう」

「私の方こそ、教えていただきありがとうございます」

 教えてくれたのに、私に感謝してくれるなんて感激する。

 私の幸せホルモンは間違いなく海知先生のおかげで、今日もたくさん溢れ出す。

 その後は、勉強を小休止している海知先生と、いろいろな話をした。

「ところで、どうして海知先生は開業しないんですか?」
 取り留めない話をしていたとき、ふと頭に浮かんだから、なんの気なしに聞いた。

「したくないから」
 海知先生の即答に、私の反射反応が間に合わない。

「冗談だよ、半分」
 また興味が湧く話の切り出し方をするなあ。
 
「前に勤務してた小川は、人間の大学病院並に充実した最先端設備。それに、最新医療機器の導入する資金力があった」

「先生も動物看護師もたくさんいたんですよね?」

「そう、多数のスタッフがいた。それに、多種多様な症例を目の当たりにする患畜の多さで、大病院のメリットがあった」

 懐かしそうに、軽く口角が上がる。

「小川で積んだ経験は、価値ある経験だった」

 私にもわかるようになのか、正確な言葉を探し求めながらみたいに、ゆっくりと話し始めた。

「ただ医療ミス、麻酔の失敗な。獣医療では、“オペでは死ななくても麻酔で落ちる(死ぬ)”って、言われてるんだよ」

「麻酔で?」

「そう、動物は人間みたいに話してはくれない、今さらながら」
 困ったよなって顔で、眉を下げて優しく微笑む。

「肺活量の検査もできない。動物には大した検査ができないから、麻酔の微量の調整が重要なんだよ」

 人間がオペとなれば、医師や看護師などの医療従事者との意志疎通が可能だから、術前検査はきっちりとおこなえる。

 それに引き替え、動物はどう?