あの人は…確か…3年の国語の教師だよな。
「奥平…って言うのか…下の名前…何だっけ」

”優しい気持ちになってくれたらいいなって“

その日から俺の頭には彼女の笑顔とその言葉が、ずっと残っていた…。

それからの俺は、柄にもなく同じクラスの女子が嫌がらせを受けていたのを助けたり…
体育館の裏庭を通るたびに、あのチューリップの事が気になったり…
用もないのに、職員室の前を通ってみたり…
何度も…通った…
もしかしてを期待していたのかもしれない。

「おお、新井っ、良いところにいたなっ!
悪いが、少し手伝ってくれ…これな…
次の空手の都大会の日程だ…、他の部員にも配っといてくれ…っ。」

呼び止めたのは、空手部顧問の平野だった。
やっぱ、こんな所…うろつくんじゃなかった…。

「…どうした?新井…」

「いえ、何でもないです」

「そうか…親父さん、元気か?」

「はぁ…あの人は殺しても死にませんよ」

「アハハ、そりゃあ、いいな」

何がいいのか?

「…………っ。」

「そうだ、最近…クラスはどうだ?楽しくなったか?」

「…楽しくはないです」

俺がぶっきらぼうに答えると、平野先生は笑って俺を見ていた。平野先生は、こんな俺を気にしてくれていた。だけど…俺は素直にはなれなかった。

「じゃあ、失礼します…」

そう言って職員室を出ようとした時…

フワッ…急に花の香りがする。
そして、聞き覚えのある声…

「すみません、平野先生…今日の職員会議の資料の事なんですが…っ。」

「おお、そうでした…奥平先生に連絡するのを忘れてましたわっ…年とるといけませんな…申し訳ない…。」

「いえいえ…大丈夫です。それに平野先生は、まだまだお若いですよ。」

俺の隣で、彼女が笑って話している。
彼女の横顔に釘付けになって、全身の血が顔に集まっていく。

「お?新井…どうした顔が…赤いぞ?…体調でも悪いのか?」

「いえ…大丈夫です」

俺は彼女が俺の方を見る前に踵を返し、立ち去った。

”奥平…紗和”(おくひら さわ)っていうのか…
彼女が首から下げている身分証…
名前が判明した。

紗和…
奥平紗和…

ドキン…ドキン
胸が…
高鳴っていく。

100メートル走を全力疾走した後みたいに…

息が苦しくなった。