今日は郁人が学校の委員会で午後から公欠になるから、帰りは久しぶりに一人。

夏休みに入るとすぐに勉強合宿という3年生のイベントが予定されていて、その下見に先生と出掛けるんだって。

郁人がそんな委員会をしていたなんて知らなかった。

勉強合宿なんて、名前を聞いただけで悪寒がするよ。

郁人は私と違って勉強ができるようだから、先生からの信頼も厚いんだろうな。

ああ、羨ましい。

さ、今日はどこにも寄り道しないでさっさと家に帰ろう。

いつも郁人とくだらない話をしながら電車に乗っているから、話す人がいない電車の中はつまらないな。

今日は運良く座れたし、大人しく音楽を聴いて帰ろう、なんて思っていたら、音楽に集中することなく、睡魔に襲われてあっという間に眠ってしまったみたい。

もうそろそろ着くかな? そう思って窓の外を見ると、見慣れない風景が流れていく。

ここどこ? ヤバッ! 乗り過ごしたかも。 私は慌てて次の駅で降りた。

反対のホームに戻り、ベンチに座って次の電車が来るのを待った。

次の電車はあと20分後かぁ。失敗したな。

早く帰ろうと思っていたのに。

「ほ、のかちゃん?」

誰かに声を掛けられた。

声の方に顔を向けると、そこに立っていたのは・・・蒼汰くんだった。

私は思わずベンチから立って、後退りをした。

「待って、帆乃香ちゃん。何もしないから。きちんと謝らせて」

私は声が出せずにいた。

「帆乃香ちゃん、あの時は本当にすみませんでした。ごめんなさい」

そう謝って深々と頭を下げる蒼汰くん。

ホームにいる数人の人が何事かと私たちを凝視しているのが分かる。

「やっ、蒼汰くん、やめて。もういいから」

「本当に、ごめん。許してもらおうなんて思わないけど、直接謝ることができてよかった」

「蒼汰くん、どうしてこの駅に」

「帆乃香ちゃんこそ。この駅は俺の使ってる駅だから」

「そっか。ここから通ってるんだ。学校まで結構遠いね」

あれ? 私、普通に話してるけど。いいのかな。

「話してくれてありがとう。それじゃ、さよなら」

蒼汰くんは再度深く頭を下げて私に背を向けた。

「あの、蒼汰くん」

私は思わず蒼汰くんを呼び止めてしまった。

このままお別れしてはいけないような気がして。

蒼汰くんはびっくりした表情で私の方へ振り返る。

「私、電車を乗り過ごしちゃったの。次の電車が来るまで、一緒にいてくれないかな」

「えっ? それって。帆乃香ちゃんと話をしてもいいの?」

「ベンチに座ろう、蒼汰くん」

私は蒼汰くんと並んでベンチに座り、話しをした。

「髪の色、黒くしたんだね。前は茶色だったよね」

「ああ、これね。俺なりの反省。でもごめん、坊主にはできなかった」

「あははっ、坊主にされたら怖いよ。黒も似合うね」

「あの、帆乃香ちゃん。俺さ、凄く酷いことしたよね。心から反省してる。信じてもらえないかも知れないけど、ずっと電車で帆乃香ちゃんのことを見ていたのは本当だった」

「そ、そうだったの?」

「でも前の日に公園であんなことになってしまって。公園で聞いた名前と、自己紹介された名前が同じ ”帆乃香” だったから、終わったなって思ったよ。それから酷い方向へ走り出しちゃって、どうしようもなくなって」

私は黙って蒼汰くんの話を聞いていた。

「あの時、島田に助けられたって思ってるよ。アイツが来なかったらって考えると、怖くなる」

「島田くん。そうだね、お互いに助けてもらったのかもね」

「前は違うって言ってたけど、帆乃香ちゃんは島田と付き合ってるの?」

「ううん。付き合ってないよ。私の片想い、かな」

「えっ? 嘘だよ。どっちかって言ったら島田の方が帆乃香ちゃんに気があると思うけど」

「そんなことないんだよ。確かに私を守ってくれているけど、それは他に理由があるから」

「そうなんだ。なんか複雑なんだね。でも、島田に守ってもらうって、最強だな」

「島田くんは喧嘩が強いって、前に蒼汰くんのお友達が言ってたよね。それって本当なの?」

「帆乃香ちゃん、島田の側にいるのに知らないの?」

「うん」

「島田はさ、小さい頃から武道系を制覇してるって聞くよ。空手、柔道、剣道、合気道とか。島田に本気を出されたら俺たちなんて手のひらだけで倒されると思う」

「そうなの? そんな素振り見せないから、全然知らなかった」

「でもさ、本当に強い男ってさ、その強さを見せないよね。しかも人には凄く優しいでしょ。だから島田ってかっこいいんだよ」

「そっか。島田くんって、そうなんだ」

「だから帆乃香ちゃん、島田のこと絶対に離しちゃだめだよ。あんな、男から見てもかっこいい男なんて多分もう出会えないだろうから」

蒼汰くんから郁人の話を聞けて、そして郁人を褒めてもらって、とても嬉しい。

それだけで蒼汰くんを許せる。

郁人がかっこいいって言ってもらったから、なんか笑顔になるな。

「じゃ、俺は帰るね。もう電車も来るだろうし。帆乃香ちゃんにはもう会えないと思うけど、元気でね。バイバイ」

「蒼汰くん、さようなら」

私は蒼汰くんの去っていく姿は見なかった。

あんな酷いことをされたけど、やっぱり蒼汰くんは悪い人じゃない。

出会い方が違っていたら、もしかしたら私は蒼汰くんと、って頭をよぎって。

今日でもう一生会わない人なんだって思うと、別に好きとかじゃないのに何でか悲しくなった。

私は空を見上げて、

「ああ、郁人に会いたい・・・・。」

って呟いた。