「帆乃香、落ち着いた? もう大丈夫?」
どこまでも優しい口調で話し掛けてくれる郁人。
「うん。もう大丈夫。学校サボっちゃったね。ごめん」
「まぁ、あれだよ。せっかく天気もいいしさ。今日だけサボっちゃお。帆乃香の話も聞きたいし」
「私の話?」
「そう、俺で良かったら話聞くよ。帆乃香も色々とあるんだろ?」
ああ、郁人は私の家のことを言っているんだね。
昨夜のことを。
郁人になら話してもいいかな。きっと郁人はバカにしたりしない。
「えっと。何から話せばいいんだろ。私が生まれた所から?」
「ぷはっ! いや、それだと何年も掛かるから・・・。帆乃香が話したいなら何年でも付き合ってやるけどさ」
「ふふふっ、そうだよね。じゃ私の家の話、聞いてくれる?」
「ああ。話したくない事は話さなくていいからな」
私は胸に仕舞っていた思いを郁人に打ち明け始めた。
「うちね、私が小さい頃に両親が離婚して。ずっとお母さんと二人だったの」
「うん」
「お母さんは生活のためにって夜の仕事を始めてさ」
「うん」
「いつも夜に居なくなるお母さんがイヤで」
「うん」
「中学生になる頃にはお母さんの仕事がどういうものかなんて、分かるでしょ」
「ああ、そうだな」
郁人は私が言葉を選びながら話すのを優しく聞いてくれた。
「帆乃香には兄弟がいないのか? 一人っ子?」
「うん、一人だよ」
「じゃ、小さい頃からいつも一人だったの? 夜も一人だったの?」
「小学4年生まではおばあちゃんも一緒に住んでいたから。でも、亡くなってからは一人だったの。その頃は夜になるのが嫌いだった」
「寂しい思いをしてたんだな」
「小さい頃の話だし、もうその時の寂しさなんて忘れちゃった。へへっ」
力なく笑う私に郁人はなおも優しい言葉をかけてくれる。
「無理に笑わなくていいぞ、帆乃香」
「うん。それで、去年の冬にお母さんが突然彼氏ですって言ってあの人を連れてきて。昨日家から出てきた人、分かるかな?」
「ああ、分かるよ」
「その人が毎日のように家に来ててね。それまでは私とお母さんの居場所だった家が、いつの間にか私の居場所がなくなっちゃって」
「そう言うことだったのか。帆乃香が家に帰りたくない理由」
「今ではね、お母さんとあの人が家にいない夜が一番好きになった」
「帆乃香の家だろ。帆乃香は堂々としてていいんだよ。気を使いすぎなんだって。そのお母さんの相手はイヤなやつなのか?」
「イヤな感じの人ではないんだけど。まだ私がその人に慣れていないって言うか。多分、向こうも私に対してどう接していいか分からないんだと思う」
「帆乃香、お母さんを間に挟んでいいんだからさ。逃げないでその相手と話したらいい」
「そうだね、まずは私が時間をずらして生活しているのを直さなきゃだめだよね」
「帆乃香が負担に感じない程度にな」
「うん、少しずつ頑張ってみるよ」
「帆乃香の家の事情は友達とかに話したり相談したりしてるの?」
「ううん、今初めて話したの。郁人なら、バカにしたり見下したりしないかな、って思って」
「はぁ?! 帆乃香、何言ってんだよ。バカにするってなんだよ。俺が帆乃香を見下すって? 本気でそう思ってたの?」
「ごめん。郁人だけじゃなくて皆がそう思うんだろうなって。家のことを知られるのが凄く嫌だったの。隠しておきたかったの」
「まあ、俺は帆乃香に出会ったのがほんの数日前のことだから信頼されてないのは仕方ないけど。でもお前の友達は違うだろ。学校をサボるってメールが来て、帆乃香はこんなことするような子じゃないって凄く心配してたぞ」
「有希が・・・。」
「あっ! やべぇ。俺、その友達のスマホ借りたままだ」
郁人は左手に持っているスマホを私に見せて頭をかいている。
「そうだよ、さっき郁人が使ってたそのスマホって有希のだよね。どうして郁人が有希のスマホを持ってるの?」
「それな! 帆乃香のせいだろ。お前があの男と突然消えたから」
「それ、関係ある?」
「あるよ。あの男が帆乃香を拉致して電車を降りたのが見えたから、俺、マジで焦ったんだぞ。でも帆乃香の番号知らねぇし。とにかく学校まで行ってお前の友達に電話してもらったんだよ。そいつも帆乃香からのメールに焦ってたしな」
「そうだったの。ごめん、ね」
「それ、早く友達に言ってやれよ。心配してるぞ」
「今、有希に電話してもここに携帯あるよね」
「あー、そうだよな。俺、その有希ってヤツに怒られるな」
「ふふっ、大丈夫だよ。私が謝っておくから」
「サボるのはここまでにして、学校へ行くか」
「そうだね。行こうか。郁人、話しを聞いてくれてありがとう。少しスッキリしたよ。この次は郁人の話を聞かせてくれる?」
「俺の話? なに、俺に興味あんの?」
興味っていうか。なんだろう。郁人のことをもっと知りたいなって思うんだよね。
「うーん・・・。特に興味は、ない。かな?」
「うっわ! 帆乃香って酷いな。もう絶対に俺の秘密は教えてあげない」
「あははっ、そんな凄い秘密を抱えているの? 興味がないなんて冗談だよ。郁人は私のヒーローだから。色々知りたいよ」
「ヒーローって・・・。バカ」
バカって言って郁人が両手で顔を覆った。その時の郁人の表情が見れなくてちょっと残念。
郁人は本当に私のヒーローなんだよ。
何度も助けてくれたし、喧嘩は強い(らしい)し、そしてとっても優しい。
『島田はさ、結構人気あるんじゃないかな? しょっちゅう告白されてるっぽいよ』
前に有希が言っていたことを思い出す。
それ、分かった気がするよ有希。
郁人が皆に好かれる理由。
郁人の優しさは私だけが特別じゃないってことも。
そう気付いたとき、胸が締め付けられるように苦しくなった。
学校へ戻る時、郁人からスマホの番号を交換しようって言われて。
「何かあったら、いつでも連絡して」
「ありがとう。郁人は優しいね」
「帆乃香は海人の大切な友達だろ。そんなの当たり前だよ」
そっか。私と郁人を繋いでいるのは海人くんなんだね。
「うん。海人くんが大好きだよ。私も大切なお友達だと思ってる」
あれ? また胸が痛い。この痛みは、なに?



