『男の人……誰かは、わたしも知らないけど。車道に飛び込んだわたしを助けてくれた人だよ』
『なんだって!?車道に飛び込んだって、千代が?』
彬くんはインターホンから離れ、わたしの顔の横に手を突いて問いただした。
その表情は、目覚めた時以上に強ばっていた。
『千代?それ本当?車道に……って、どうしてそんなこと!』
愕然とわたしを見据える彬くんの目には、怒りの感情すら滲んでいて。
だからわたしは、正直に答えた。
『……一人は、嫌だったから』
『千代は一人なんかじゃないだろっ!』
端的に説明するわたしを、彬くんの大声が遮る。
あまり聞いたことのない、怒鳴り声で。
わたしは思わずビクッとして、それから、その反動なのか何なのか、一筋の涙がスーッとこめかみに向かって伝い落ちていった。
すると、今の怒鳴り声とは打って変わり絞り出すような掠れ声で、彬くんは『千代……』とため息混じりに呼んだのだ。
『千代……そんなこと言わないでくれ』
その囁きは、わたしを包み込む腕に添えられるようにして、耳元に届いた。
『千代は一人なんかじゃないから。俺がいる。俺の母さんだって、もう千代のことを娘のように思ってるし、友達だっているだろ?家で一人でいるのがダメなら、一緒に暮らそう。千代の家でも俺の家でもいいし、新しく部屋を借りてもいいから。だから、自分はひとりぼっちだなんて思わないでくれ……』
震えるように聞こえた哀訴は、わたしの心をまでもを揺らしてきて。
わたしは、わたしを抱きしめる彬くんの背中に恐々と腕をまわして言った。
『……でも、お父さんと、お母さんに、会いたいの………』
思えばこれが、わたしが両親とさよならした後で流す、はじめての涙だった。
ぽろぽろと、一粒、また一滴、落ちていった涙は耳に吸い込まれるようにして湿らせる。
彬くんはよりいっそうの強さで、わたしを抱き込んだ。
『だったら、俺が、千代のお父さんになるから。お母さんにだってなる。兄弟にだってなるし、千代が望むすべてになるから。千代は、絶対に一人なんかじゃないんだ』
何度も何度も、”一人じゃない” と言い聞かせる彬くんは、わたしの涙が乾ききるまで、ずっとわたしを離さなかった。
『千代のことは、俺が絶対にひとりぼっちになんかさせないから………絶対にだ』
その腕にたくましさを覚えながらも、わたしの鼓膜を響かせる彼の声は、まるで、見えない涙を流しているようだった………