高速道路を走行中の乗用車に逆走したトラックが突っ込んだ事故。乗用車の男女二名が死亡。女子児童が重傷。男子児童が軽傷。
「この女子児童って」
 思い出した。あの日はよく晴れた日だった。夏休みも中盤で、竜の宿題の絵日記が進まないこともあり、キャンプをしようと父親が計画してくれた。竜が春希と一緒に行きたいと言うので、春希と春希の母親も一緒に行くことになった。父親が運転をし、母親が助手席に乗り、春希は運転席の後ろの席、竜は春希の隣、その後ろの席に春希の母親が乗った。楽しかった。居眠り運転のトラックが来るまでは。
 前方からぐにゃぐにゃと、暴れ馬のようなトラックが逆走行してくるのだけ見えた。トラックがあまりにも近くて恐ろしかったので、目をつむった瞬間に激しい揺れが襲った。シートベルトが体を押さえつけ、頭だけが激しく揺さぶられる。目を開けると春希が竜に覆い被さって倒れていた。
 記憶はそこまでで、気づくと病院のベッドで泣きそうな祖父母の顔があった。ほどなくして、両親の死亡を伝えられた。
 一瞬で一人になってしまった。頭の中がふわふわして、ほとんど何も考えられなかった。両親の顔を見せられても、何故かピンとこない。祖父母は泣きもせず放心する竜に対してどうすればいいのか分からず困惑していた。
「重傷ってことは大怪我だよな」
 生きているんだよな?新聞記事には、その後のことは書かれていない。途端に心配でたまらなくなった。
「僕もずいぶん前に聞いたことがあるけど、その時は病院にいるからまだ会えないって言われた」
 郁留も春希の状態が分からず心配していたようだ。それから会えずじまいだったのに、葬式の日に竜が「春希が来た」と言うのだから、当時の郁留は大混乱だっただろう。
「家、行ってみるか」
「思い出したの?」
「だいたいは」
竜が春希の家を知らないわけはなかった。毎日のように遊んでいたから。本当は思い出さないようにしていたのかもしれない。自分の中で辻褄を合わせるために。春希の家に行ったら、自分の妄想に気づいてしまう。このままずっと夢を見ていたかったのかもしれない。







 下校時間になると、記憶を頼りに春希の家に向かった。最近は通ることがなかった道だが、小学生の頃にほぼ毎日行き来していたので、歩いてみると記憶より体が覚えていた。
「たしか、この辺り」
 銀杏の並木道の住宅街通り。公園が近くにあって、信号を渡ったすぐそばの二階建ての家。
「あれ?」
 思っていた場所は、駐車場になっていた。コンクリートが真新しいので、最近できたようだ。駐車場の前に立ち尽くしていると、車道から入ってくる車にクラクションを鳴らされた。
 早くも探すあてがなくなってしまった。やはり、人探しの基本は聞き込みだろうか。テレビ番組でもよく見かけるし。少し恥ずかしかったが、近くに築五十年以上はありそうな趣のある住宅を見つけたので聞いてみることにした。運よく女性が庭の掃除をしていた。遠目からだが、優しそうな人だ。よし、大丈夫だ。
「すいません」
「はい?」
「あそこの駐車場っていつ出来ましたか?」
「半年くらい前だったかな?それまでは家があったんだけど」
「そのお家の人は?」
「六年前くらいに引っ越したみたい。娘さんが事故で大きな病院に通わないといけなくなったらしくて。ニュースにも一時期報道されていたから人の目が気になったみたい」
 新情報を手に入れることができ、嬉しくなって拳にぐっと力を入れた。あまりポジティブな情報ではないが、その後のことを少しだけ知れた。
「どこに引っ越したか分かりますか?」
「そこまでは、ちょっと分からないわ。ごめんなさいね」
「そうですか、ありがとうございました」
 女性は親切に教えてくれていたが、喋りすぎたかもしれないと口に手をあてていた。
「君は高校生?人探ししてるの?」
「その女の子と昔仲良くて、また会いたいなぁって」
 女性は楽しそうな表情になり、頑張ってね。と竜の手を握って応援し、ちょっと待ってと、家からお守りを持ち出して竜に持たせた。縁結びのお守りだった。
「あ、ありがとうございます」
 熱が入った応援に圧倒され、あっけにとられながら女性の家を後にした。おそらく、近所の人に聞いてもこれ以上の情報は出てこないだろう。家に帰って、稜輔に連絡先を知らないか聞いてみることにした。稜輔はどんな反応をするだろうか。ずっと竜の妄想に付き合って会話をしていたので、いきなり現実的なことを言うと驚くだろうな。







 稜輔は、最近は仕事を早めに終わらせて帰ることが増えた。悪阻が始まって具合悪そうにしている千秋のことが気がかりなのだろう。家に帰ると、稜輔がすでに帰宅しており、夕食の準備をしていた。千秋はソファーで横になっている。
「千秋は大丈夫?」
「気持ち悪そうにしてたね。ご飯食べれるといいんだけど」
 稜輔は心配そうにしながらも、テンポよく野菜を切っていく。
「稜輔、聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「春希の連絡先って知らない?家に行ってみたんだけど、引っ越したみたいで」
 さっきまでテンポよかった包丁さばきが突然おぼつかなくなり、切っていた人参が流し台の方へ飛んでいった。稜輔は竜の様子をうかがいながら言葉を探している。予想はしていたが、やはり動揺しているようだ。
「春希ちゃんの家に行ったの?」
稜輔は竜の様子をうかがいながら言葉を探している。予想はしていたが、やはり動揺しているようだ。稜輔は一番長く竜の幻覚に付き合っていたので、すぐに事態を飲み込めないでいる。帰ってきたと思ったら突然妄想の世界から目を覚ました竜に何と言えばいいのか目が泳いでいる。
「今までずっと俺に合わせてくれて、ありがとう。一人で喋っていたから人に変な目で見られたりしただろ」
 稜輔は普段と同じように話す竜を見て恐る恐る「何かあった?」と聞いた。竜が学校であったことを話すと「なるほど」とうなずいている。
「大丈夫なの?気持ちは落ち着いている?」
「うん。でも俺やっぱりおかしかったのかな?」
「自分で自分のことをおかしいと思ってはいけないよ」
 稜輔は携帯電話をポケットから取り出して電話番号を調べ始めた。
「春希ちゃんの親父さんとは少しだけやり取りしたことあるよ。とは言っても何年も前だから繋がるか分からないけど」
 春希の父親の番号を見つけ、稜輔がかけてみると、すぐに繋がった。
「もしもし、二ノ宮です。あの、」
 稜輔が名乗り、用件を言う前に通話は途切れた。否、一方的に切られた。
「春希のお父さんじゃなかったの?」
「分からない」
 春希の家族と連絡が取れればすぐに会えると思っていたが、そう上手くはいかないらしい。明日の学校で同じ小学校出身の同級生に聞き込みをしてみることにした。









 特進科に春希と仲が良かった女子がいる。三宅愛子。春希が女の子と遊ぶと言う時はだいたい愛子だ。ただ、竜は愛子とあまり話したことがない。というより目の敵にされているような気がする。おそらく春希のことは彼女が一番知っているのだろうが、嫌われていると思うと話しかけるにも躊躇してしまっていた。普段は人見知りしない竜だが、少しだけ緊張しながら愛子に話しかけた。
「あの、三宅さん」
「何」
 彼女の眼光は鋭く竜を見据える。どうやら機嫌が悪いようだ。思わず目線をそらしてしまった。
「春希の連絡先知らない?」
「は?」
 愛子は郁留の方をチラッと見て、こちらのやりとりに気づいていないことを確認すると、「ちょっと来て」と竜を連れて教室を出た。愛子は空き教室に入り、竜を席に座らせると、自分は教壇に立った。一体今から何の授業が始まるのだろうか。竜は不機嫌な女子をどう扱っていいのか分からず何も言わずに従う。
「あんた、昨日うちのクラスで倒れたでしょ」
「あぁ、うん」
「あんたを担いで行ったのも二ノ宮君だし、その後その場に居合わせたクラスメイトに囲まれて質問されて大変そうだったわ」
 二ノ宮君とは、郁留のことを言っているのだろう。同じ苗字なのでややこしい。
 気分が悪かったのであまり覚えてないが、教室内はずいぶん騒ついていたような気がする。郁留が対処してくれていたのか。
「二ノ宮君に迷惑かけすぎじゃない?いくら親戚だからって」
 愛子はやけに郁留の話ばかりする。もしかして、郁留のことが好きなのでは?という結論にたどり着いた竜は、郁留に対しての説教を甘んじて受け入れた。
「で、今度は何?今さら春希に連絡するの?」
「連絡先、知ってる?」
「まぁ、知ってるけど」
 さっきまでの迫力は消え、口籠もる愛子は教壇から降りて竜の隣の席に座った。
「私も最初はお見舞いに行ってたの。でも、春希はずっと眠ってて。最近は行かなくなっちゃった」
 ずっと眠っている?昏睡状態だったということか。
「ごめん。俺、記憶が曖昧で、詳しく教えてほしい」
 愛子は困惑しながらも、当時の春希の様子を話し始めた。事故の怪我は命に別状はなかったものの、数週間意識が戻らなかった。目が覚めたはいいものの、突然眠ってしまうようになってしまった。病院では睡眠障害の一種と言われ、いつ意識を失うか分からないので、ほとんど外に出られないという。
「そうそう、連絡先って言ってたっけ」
「教えてくれるの?」
「ここまで話したら教えないわけにはいかないでしょ」
 愛子は空き教室に置いてあったプリントを適当に物色して、端に春希の母親の電話番号を書いて竜に渡した。
「会いに行くならもっと早く行きなよ。遅いよ。だから場所も連絡先も分からなくなるのよ」
「うん」
 愛子は話しているうちにだんだん寂しそうな顔になってしまった。
「そうだ。これあげる」
 竜は制服のポケットに入れっぱなしにしてあった、縁結びのお守りを愛子に渡した。
「頑張れよ!」
 竜は郁留との恋を応援したつもりだったが、愛子は顔を真っ赤にして、お守りを投げ返した。
「馬鹿!いらないわよ!あんたが持ってなさいよ。まだ春希に会えてないくせに」
 愛子は怒って教室のドアをバンッと勢いよく開けて出て行ってしまった。竜はさすがに無神経すぎたかもしれないと反省しながらも、機嫌がコロコロ変わる女子はやっぱりよく分からないと頭をかいて、お守りをポケットにしまった。








 教室に戻ろうとすると、廊下に生徒が集まっていた。皆で窓から外を見ている。郁留と海里も同じく外を見ていたので何があるのか聞いてみた。
「校門におじさんがずっといるんだよね」
 竜も窓から外を見ていると、校門に隠れるようにして男が校内をキョロキョロ見回している。普通の中年サラリーマンに見えるが、挙動が怪しい。すぐに校内から男性教師が三人出てきて、男に近づいて話しかけようとすると、男は一目散に逃げてどこかへ行ってしまった。
「そうだ、海里。電話貸してよ。春希のお母さんの連絡先が分かったんだ」
「へぇ、ちゃんと探してたんだね」
 海里から借りた携帯電話に電話番号を打ち込み、発信してみた。3コール目で「はい」と返事があった。知らない番号からの着信で戸惑っているようだ。
「もしもし、二ノ宮竜です。お久しぶりです」
 竜が名乗ると、戸惑った声から一転、「あら、久しぶり」と親しげな反応が返ってきたので安心して春希の様子を聞くことができた。
「最近は春希も調子がいいみたいだから来てくれたら喜ぶと思うわ」
 基本的にずっと家にいるから、来れる時に来ても大丈夫だと、住所を教えてもらった。隣町の大学病院の近くの住所だ。学校から一駅で行ける所にある。学校の帰りに寄れるだろう。
 春希に会える。緊張してきたと同時にワクワクして胸が高鳴る。
「電話できた?」
 郁留と海里が、電話が終わったのを見計らって話しかけてきた。竜は、海里に携帯電話を返し、笑顔でうんうんと頷いた。
「郁留と海里も一緒に行くか?」
「どうして?いいの?久しぶりなんでしょ?」
「本当のこと言うと緊張するから一緒に来てほしい」
 郁留と海里は顔を見合わせてしょうがないなぁと呆れて笑った。