嘘だろう、ひょっとしてどこかに発信器でも取り付けられたのかと、一瞬本気で疑った。

佐澤洸暉がなぜここに現れるんだ!?
獣は獲物の匂いを嗅ぎつけるものなのか…

ゆらゆらと、どこか柳を思わせる足どりで、彼はこちらに向かってくる。片手に購買で買ったとおぼしきパンをぶら下げて。

いや、ちょっ…と固まっているうちにも、彼我の距離はあっさり縮まり、彼はすとんと陽澄の左隣に腰をおろした。

待ち合わせなんかしていない。
弁当箱のふたをがちゃんと閉めると、巾着の紐を一気に締めて立ち上が———痛っ!

覚えのある痛みと感覚ともに、首がのけぞる。
佐澤洸暉の左手が、陽澄の髪をむんずとつかんでいた。

犬のリードじゃないんだから、とやり場のない怒りを押し殺しながら、しぶしぶまた腰をおろす。

さすがにもう食べる気にはなれなくて、無言で座る陽澄の隣で、彼がガサガサと袋を開けてパンを頬張り始める。

無意識に手首をさすっていた。九月なのに長袖のブラウスを着ているのは、もちろん手首の痕を隠すためだ。他人とそして自分の目から。

なかなか消えない傷をつけた張本人が、すぐ隣にいる。
暑さはもう感じない。彼の気配を感じるだけで、水色のネクタイが視界に入っただけで、すべての感情と感覚が痺れたように鈍くなる。たぶん自己防衛本能というやつだ。