わたしはちょっと首を傾げながら答えた。

「そうね……、乗る時はやっぱり後ろの席ばかりかな。もっとも、車に乗る機会自体、あんまりないんだけど」

「そうなんですか?」

 わたしの答えがあまりにも意外だったのか(後から聞いた話では、本当に意外だったらしいのだけれど)、彼は目を瞠った。

「ええ。通学も電車だし、寺田さんの送迎なんて申し訳なくて頼めないもの。パパの運転で親子三人で出かける時は、わたしは後ろでママが助手席だったのよ。だからわたし、一度助手席に乗ってみたかったの。前から見る景色がどんなのか見てみたくて」

「そうですか……。じゃあ僕は今、身に余る光栄を(たまわ)ってるわけですね」

「えっ?」

「だって、絢乃さんの助手席初体験が僕の車なわけですから」

 彼があまりにも大真面目な顔でそう言うものだから、私はキョトンとなった。そして、思わず吹き出した。

「そんな、〝賜ってる〟なんて大げさねぇ。わたしは女王さまでも、お姫さまでもないのに」

 ただ、明治時代から代々続く経営者の一族に生まれ育っただけで、わたしは普通の女の子だ。
 たとえ彼が雇い主の令嬢(むすめ)に敬意を払っただけだったとしても、〝賜ってる〟はオーバーすぎると思った。

「そうですよね。でも、絢乃さんに乗って頂くのに、こんな車じゃちょっともったいないですよね。自分で買ったんですけど、ケイじゃねぇ……。もっといい車にすればよかったかな、と思って」

「あら、そんなことないと思うけど。自分で買ったってだけでもスゴいもの。わたしはいいと思うわよ」

 彼は当時、まだ二十五歳だった。その若さでマイカーを持っているなんて、それだけでもスゴいことだと思ったのだ。

「絢乃さんがそうおっしゃるなら、それでもいいんですけどね。この車のローン、もうすぐ終わるんです。そしたら、別の車に買い換えようかと思ってて」

「そうなの? もう車種は決まってるの?」

「あ……、はい。今度のはセダン車にしようかと。ローンの支払い額は少し高くなりますけど……」

 ローンで買うということは、当然新車だろうと、わたしは見当をつけた。少なくとも百万円単位の金額がかかる。……実際、その車は四百万円かかったのだと、のちに彼本人から聞いた。
 そして、その支払いは今でも続いている。――それはさておき。