『分かりました。――あの、一度こちらにお戻りになりますよね?』

 彼はわたしがあのまま直帰するとでも思っていたのだろうか? でも、バッグは会長室に置いたままだったし、出社時と退社時の送迎は彼の務めだったので、わたしがひとりで帰宅する可能性はほぼゼロに近かった。

「うん。もう話は終わったから、これから戻るわ。じゃあ、また後で」

 電話を切ると、わたしは山崎さんに改めて言った。

「それじゃ、わたしは上に戻ります。明日の会議、よろしくお願いしますね」

「はい。わざわざお疲れさまでございました」

 人事部長室を出ると、わたしは秘書の女性を始め、まだお仕事中だった社員のみなさんに「おジャマしました」と声をかけてから、人事部を後にした。

 ――再びエレベーターに乗り込み、四階上の会長室に着いた頃には、ちょうど彼もわたしがお願いしていた電話を終える頃だった。

「――はい。急なお願いで申し訳ございません。では明日の会議、よろしくお願い致します。失礼します」

 彼は村上さんの携帯ではなく、内線で社長室に繋いでいたらしい。電話を終えると静かに受話器を戻し、わたしのヒールの靴音に気づいて顔を上げた。

「――あ、会長。お帰りなさい」

「ただいま。――村上さんも、明日大丈夫って?」

「はい。ということは、山崎専務も? ……というか、聞こえてらしたんですか?」

「うん……、ゴメンね。戻ってきたら、貴方まだ電話中だったんだもの。声をかけるのも悪いなぁと思って……。わたしがお願いしたことだったし」

 わたしは素直に、両手を合わせて彼に陳謝した。

「謝られる必要なんてありませんよ、会長。別に無理難題ふっかけられたわけでもないですし、あなたのお願いでしたら、僕は何でもお聞きしますよ。……惚れた弱みで?」

 最後にボソッと付け足された一言に、わたしは思わず吹き出した。……なるほど、悠さんのおっしゃっていたことは本当だったらしい。

「会長、ありがとうございます。僕が苦しめられた問題のために、わざわざ会議まで開いて下さるなんて……」

「まあ、貴方を守るって約束したしね。それにこれは、貴方のためだけじゃないの。会社のイメージにも関わる問題だし、来月から働いてくれる新入社員のためにも、今年度中に解決しなきゃいけないから」

「なるほど。そういうことでしたか」

 我が〈篠沢グループ〉は――、少なくとも中枢である篠沢商事は、世間から優良ホワイト企業というイメージで通っている。そのため、毎年の入社希望者が多いのだけれど、パワハラなんて問題がのさばっていたら、四月に入社してくれる新入社員の人たちを騙し討ちにするようで(まこと)()(かん)だった。