「先輩!待ってってば」

「嫌だ。着いてくるなよ」

 矢野依枝奈は気にせず横についた。先輩と呼ばれた男、高橋直哉は盛大にため息をつく。

「だーかーら、今日は無理なの」

「なんで?」

 子犬の様に自分を見つめる依枝奈に直哉は頭を悩ませる。この会話は本日5回目だ。

「先約があるの」

 依枝奈はそう言って咎める直哉に胸が痛んだ。奥の方がチクチクする。先約の相手なんか決まってる。

「……うん。じゃあ、またね」

 一瞬、哀しそうな顔を見せるも笑顔で手を振った。直哉もおう、と返すと手を振って去って行った。
 依枝奈は後ろ姿を見てぐっと歯を喰いしばる。涙を必死に堪えた。
 直哉には何よりも優先させたい大切な人がいるのだ。直哉の1つ上のバイト先の先輩であり、依枝奈の姉の絵里奈だ。お互いバイトはもう辞めていたが今だに仲は良かった。
 絵里奈もまた大切に想う彼氏がいる。絵里奈は何も知らずに直哉に彼氏の事など相談していた。
 絵里奈の彼氏は浮気症だ。依枝奈も姉が散々泣かされていたのを知っている。やめちゃえばいいのに、と思うのだが好きだからやめられないのだと言う。依枝奈にもそういう気持ちがやっと分かる様になった。