今日も何事もなく一日が終わる。俺は帰りのHRが終わるとすぐに席から離れると、教室を出て靴箱へと向かった。
 
 靴を履き替え、正門へと向かう道。
 
 グラウンドからは運動部の掛け声が聞こえてくる。俺はそちらへ目を向ける事無く歩いていると、声を掛けられた。
 
鷹取(たかとり)
 
 俺はその声が聞こえていない振りをして歩いた。
 
 もう一度、その声が俺を呼ぶ。
 
 誰が俺を呼んだのかは顔を見なくても分かる。
 
 ソフト部三年の那珂川(なかがわ)優希(ゆうき)。同小で家も二軒隣。小学生の頃までは仲は良かったが、それも中学に上がった頃には、クラスも同じになった事が無く、疎遠となっていた。
 
「……話し掛けんなよ」
 
 口の中で噛み潰す様に呟くと、正門へと向かった。
 
 俺は学校を出るとコンビニに寄り、弁当を買う。今日の夕食。このコンビニの弁当も食べ飽きている。
 
 家にたどり着くと、玄関の鍵を開け中へと入った。
 
 はぁっと大きな溜息を吐く。
 
 誰も居ない家はとても広く感じ、そして、暗かった。
 
 
 
 二年の春休み、俺の両親が離婚し、俺は父さんに引き取られ、二人で暮らしている。
 
 父さんは仕事が忙しく、朝早く家を出て、帰ってくるのは夜遅い。だから、父さんとあまり顔を合わせる事が少ない。俺は何か色んな事が面倒臭くなり、遅刻や欠席などが増えてきた。
 
 その頃から、那珂川が俺に声を掛けてくる様になった。
 
「鷹取、バスケ部辞めたって本当ね?」
 
「鷹取、きちんとご飯ば食べよるん?」
 
「鷹取、あんた、なんばしよるん?最近、遅刻とかが増えよるやん?」
 
 正直言って、うざい。
 
「しゃーしかったい、お前に関係なかろうもん」
 
「ごめん……でもさ……」
 
「ほっとけ」
 
 イライラする。
 
 俺は那珂川に話し掛けられても無視する事に決めた。
 
 
 
 土曜日。俺は夕飯の弁当を買いにコンビニへ行こうと準備をしていた。
 
 来客を知らせるチャイムがなる。モニターを確認すると那珂川が立っていた。
 
(きょう)ちゃん……これ、お母さんが……」
 
 那珂川がおかずなどが載せてあるトレイを俺に差し出してきた。
 
 恭ちゃん……
 
 小学生の頃、那珂川は俺をそう呼んでいた。だけど中学に上がってから一度も聞いた事がない。まぁ、こうやって家に尋ねて来る事もなかったけど。
 
「いつもコンビニの弁当なんやろ?」
 
「食べんでも良いけん、受け取って」
 
「食器は明日、取り来るけん……」
 
「じゃあね……」
 
 トレイを受け取り、「あぁ」と一言返事をすると、少し寂しそうに微笑む那珂川。
 
「なんで俺に構うん?もう、ほっといてくれん?」
 
 俺の言葉に、那珂川が唇をきゅっと噛み締め、俺を睨む様に見詰めている。
 
「……なんでそげん言うん?恭ちゃんの事ば、ほっとけるわけ無いやんね……」
 
 真っ直ぐに見詰めてくるその瞳に、俺はつい目を逸らし背を向けた。
 
「ほっとけよ、うぜえから」
 
 俺はそう言うと玄関の扉を閉めた。
 
 食器は那珂川が部活から帰ってくる前に返しに行くと、案の定、引き留められそうになったが、そこは固辞して、すぐに家へと戻った。
 
 
 
 次の日、目が覚めると既に学校が始まっている時間だった。三年になってからよく有る事で、大して焦るわけでもなく、とりあえずリビングへ行き、冷蔵庫の中から麦茶を取り出すと、コップへ注ぎ、一口飲んだ。
 
 とりあえず、学校へと行く事を決めた俺は、のんびりと着替え終わると玄関を出た。
 
 スマホで時間を確認する。
 
 一限目がもうすぐ終わる時間。ちょうど良い。二限目の始まる前には間に合う。

 靴箱で上履きに履き替えると、階段を上り、二階の一番奥にある四組の教室へと歩いていた。
 
「鷹取……」
 
 後ろから声を掛けられた。那珂川だ。俺はその声を無視し、振り返らずに自分の教室へと向かう。
 
「なんで……無視するん?そんなに私ってうざいとね?」
 
「ねぇっ!!鷹取っ!!」
 
 涙が零れそうな瞳。俺と那珂川の周りに何事かと、人が集まってくる。
 

「あれ一組の那珂川やん」
 
「那珂川、振られよる」
 
「別れ話?」
 
「修羅場やんっ!!」
 
 俺と那珂川を見ていた男子が何を勘違いしているのか、全く見当違いの事を言い出した。それにつられ他の奴らもからかい始めた。
 
「仲直りのキスばすりゃ良かっちゃね!!」
 
「彼氏っ、抱き締めてやらんねっ!!」
 
「はははっ」
 
 何も言い返さずにぎゅっとスカートを握り、俯く那珂川。体を震わせ目に涙を浮かべている。
 
 やけんさ……俺に構っちゃいかんっち言ったとたい。俺の事なんかほっときゃ良かったっちゃん。他の生徒よりも、遅刻やなんだで悪目立ちしとるんやけん、俺は。
 
 この騒ぎにソフト部の女子達がやってきた。そして、那珂川を囲み守る様にして立っている。
 
「あんたら、なんば言いよっとねっ!!」
 
 必死に庇うソフト部達。それでもそいつらは那珂川をからかう事を止めなかった。ソフト部とそいつらの言い争いがヒートアップしていく。

 俺はあからさまにちっと舌打ちをして、そいつらの前まで行くと、胸ぐらを掴み、見下ろす様に睨みつけた。胸ぐら掴まれたそいつが苦しそうに顔を歪める。その場が凍りつくのが分かる。俺は二年の終わりまで、バスケをしていたお陰で背が高い。体格だけは良く、力も強い。止めに入ろうとする周りの奴らを無視して、俺は低い声で言った。
 
「お前、うるさかぞ?勘違いすんなや、そんなんじゃなかけんさ?」
 
「え……あ……ご、ごめん」
 
 目を逸らしながら謝るそいつを押し退け、もう一度、舌打ちをして再び教室へと歩き出した。
 
 あれだけ聞こえていた騒がしい声が嘘の様に消え、静かになった廊下。
 
「鷹取……」
 
 那珂川の呼ぶ声だけが俺の耳に届いた。
 
 面倒臭いな……
 
 俺はそう思いながらも、涙を堪えていた那珂川の姿に、少し胸の奥がちくりと痛んだ。