向坂(さきさか)、もう行くわよ」

「はい、お嬢様」

 運転手が降りて来て、後部座席のドアを開ける。彼女はツンと顎を心持ち上に向け店の外に出て美しい所作で車に乗り込むと、運転手に窓を開けさせた。

「花屋ですって? 馬鹿らしい、貴裕さんが本気になるわけないじゃない。勘違いも甚だしい」

 最後の最後でそう捨て台詞を吐く。彼女を乗せた車は、音もなく走り去って行った。


 その後は、どうやって家に帰ったのかわからない。あまりのショックにしばらく暗い部屋で電気も付けずに佇んでいた。

「そうだ、貴裕さんに連絡するんだった」

 冷たい床にぺたりと座り込んで、鞄から手帳を取り出す。中に挟んでいた貴裕さんのメモを見て、ハッと我に返った。そうだった、これはもう私には必要ないんだった。

「ふうっ……」

 あっという間に涙で視界がぼやけ、ぽたりぽたりとこぼれ落ちて貴裕さんの文字を滲ませる。止まらない涙のせいで、彼の番号の一部がすっかり見えなくなってしまった。

 これでもう、彼と繋がるものは何もない。


 ひとしきり泣いて泣いて、泣き疲れた私は、帰って来たままの姿でそのまま眠りに落ちていた。