私は紫音の前髪を指で退けて、さっき習ったことを問いかけてみた。

「誘惑香……感じる?」

「感じない。お互い抑制剤も飲んでるし、千帆はまだ発情期じゃないだろ」

「そっか。じゃなあんで、誕生日にはクラクラしたんだろう?」

「Ωに目覚めた日は、発情期と近い状態にある。教科書三十四ページに書いてあっただろ」

「なんでページ数まで覚えてんの?」

 相変わらず紫音は恐ろしいほど記憶力がいいから、下手なことを言えない。

「誘惑香は感じないけど、今普通に千帆に欲情してる」

「えっ、急すぎない⁉︎」

「男の欲情に前置きなんてねーよ」

 そう言って、紫音は私の首に顔を埋めて覆い被さってきた。

 紫音の体温が薄い夏用のシャツ越しに伝わってきて、ドクンドクンと心音が混ざり合っていく。
 
 おかしいな。今はお薬も飲んで、しかも平常時だというのに、なぜかドキドキが止まらない。

 こんな時に限って、自らキスしたことを思い出してしまい、ぼっと一気に顔が熱くなった。

「し、紫音、暑いよ、離れて」

「一日でも早く千帆を番にしたい」

「そんな焦らなくたって、私の番は紫音しかいないよ」

 思ったことをそのまま言うと、紫音がピタッと動きを止めた。

 それから、私の顔を間近で見つめて、ちゅっと額にキスをしてくる。

 顔を見ると、なぜか紫音は頬を赤らめて余裕のなさそうな顔をしていた。

「千帆はなんでそういう爆弾、急に落としてくるかな」

「爆弾……?」

「もはや試されてる気さえしてきた」

 愚痴るようにそうこぼす紫音。
 
 私はその真意が分からないまま、上に覆い被さっている紫音の顔を見つめる。

 紫音はまた深いため息をついて、「耐える自信ねーよ」と力なくつぶやいてから、また私の首に顔を埋めたのだった。




 その日、学校に着くと、クラスはなぜかざわついていた。主に女子が、何かひとつの話題で騒ぎ立てている様子だった。

 しかし、紫音と一緒に教室に入ると、水を打ったようにしーんと静まり返る。

 その代わり、刺すような視線が私のことを射抜いていた。

 こ、これは、明らかな敵意……。
 ぼうっとしてる私でも、流石に気付くレベルの……。

 教室の入り口で固まっていると、紫音だけが何か心当たりがあるのか、納得したように「ああ」と小さく声をあげた。