私は気配を消してこっそり通り過ぎようとした。婚約の話を聞いたせいでなんかちょっとだけ気まずいし、目も合わせづらい……。

 しかし、昇降口に入ったところで、がしっと腕を誰かに掴まれる。嫌な予感を抱きつつ振り返ると、そこにはキラキラのオーラを纏った紫音がいた。

「お、は、よ、う」
「お、おはよう……ございます……」

 嫌味ったらしく一音一音アクセントをつけて挨拶をされたので、私は細い声で挨拶を返す。

 うう、生徒たちの視線が痛いよぉ……。まだ教室だったら、クラスメイトたち全員、私が紫音の幼なじみだと知っているから、話しやすいんだけれども……。

「で? 番になる覚悟は決まった?」
「またその話! ていうかちょっと近いよっ、私の命が危険だから離れてっ」

 下駄箱に片手で軽く壁ドンされるような形で、紫音が迫ってくる。

 紫音がいるので私に対する悪口は聞こえてこないが、「殺……」という物騒な一文字が生徒たちから浮かび上がって見える。

 そんなプレッシャーに耐えながらも、私は彼に疑問をぶつけた。

「紫音、お母さんたちにもし私がΩになるようなことがあったら婚約するって言ってたの、本当?」
「ああ、そんなことも言ってたな。万が一の保険かけるために」
「保険って……! なんでそんな、私の知らないところで勝手に……」
「番になることと結婚はほぼ同義だし、Ωにとって番は絶対必要な契約だ。適当なやつと番になられたら困るから」

 なんでそんな、義務的な感じで言うんだろう。
 それに、ただの幼なじみの紫音に、そこまで責任を背負ってもらう必要もない。
 なんだか少しムキになった私は、つい本音を口にしてしまった。

「し、紫音はなんでそんなに焦るの? おかしいよっ、今まで通りの私たちで何がダメなの?」
「他のαやβがお前のこと襲ったら困るからに決まってんだろ」
「襲われないよっ、私そんなフェロモンなんか出てないし、美女でもないし、紫音ここ最近ずっと変だよ!」
「お前危機感なさすぎ。いい加減Ωの体質と向き合えよ」

 いきなりキスしてきたり、幼なじみじゃないって言ってきたり、番になれって迫ってきたり、こんな形で言いたくなかったって切なそうにしたり……。

 いつもの紫音じゃないなら、私はどうしたらいい?

 私はずっと、紫音と今まで通りに、一緒にいられたらそれでいいのに。

 “番”という関係性にならないと、私は紫音のそばにいちゃいけないの?

 そんな義務的な関係、嫌だよ。私は、紫音とそんな関係になりたくない。

 もっと自然な気持ちで、そばにいたいんだよ。

 だって紫音は、めちゃくちゃ大切な人だから。

 わかってもらえないことが悔しくて、じわーっと目頭が熱くなってきた。

 紫音のバカ。紫音のハゲ。紫音のアホ。

「紫音のわからずやっ……」
「は? 千帆、何泣いて……」
「大っ嫌い!」

 そう一言言い放つと、私は脱兎の如く校舎の中へと超スピードで向かった。