「こっちがわざわざ出向いてやったのに、お嬢様は暇つぶし程度に思ってたんだと。甘やかしすぎたかな」
「許してやれって。キガフレールダケはスプーン一杯で気が狂って、一口齧れば体の穴という穴から汗が出て、丸呑みしたら鼻づまりになるんだぞ」
「何でそんなに詳しいんだ君」

 鼻づまり程度ならいっそ丸呑みした方が──そうじゃなくて!! 

 な、ななな、何ですの、この会話。私は悪い夢でも見ているのでしょうか。あのお優しいアランデル様が、裏では私を扱き下ろしていらっしゃるなんて信じられません。
 愕然とする私を置いて、お部屋の中では更なる暴言が続けられました。

「頭はお花畑だけど我儘は言わないし、浪費もしなさそうだから良い物件だと思ったんだけどな。顔が良いから僕の隣に立たせてるだけで華があるだろ?」
「まぁ要するに顔だけってことだろ。で? 何を言ったら叩かれたんだ?」
「ん? 別に。早く元気になって、元通りの可愛い君に会いたいなって言っただけ」

 アランデル様が芝居がかった艶のある声で告げると、ご友人が堪え切れないように笑いました。

 ──顔だけ。

 ええ、そうです。それが私の武器ですもの。
 アランデル様を振り向かせたのは、私の容姿あってこそです。
 分かっていたことです。
 今さっき、ヴァルト様にも私が自ら語ったではありませんか。私には何もないから、その体でなければ生きていけないのだと。それを他人に悟られ、指摘されただけのこと。
 大体、貞淑な妻こそ夫人として求められる理想的な女性像なのですから、何も問題ないではありませんか。
 そもそもアランデル様と婚姻を結ぶのは家のためなのですから、私の気持ちなど不要で、我慢、すべきで……──。


「言わせておけばこの野郎ですわ!!」


 バキョッと扉を殴り破った私は、肩で息をしながらお部屋に踏み込みました。突然の巨漢乱入に驚き、アランデル様と二人のご友人がソファから転げ落ち悲鳴を上げていますが、構いやしません。

「うわああああ!? ヴァ、ヴァルト王子殿下!? 何故こちらに!?」
「うるさいうるさい! 他人のことを馬鹿にするのも大概にしやがれですわ!! 大体あなただってお茶会のときに姿勢が悪いですし、テーブル下でたまに脚が当たって靴が汚れても、私じっと黙っていましたのよ! よくよく考えたら手の触り方もいやらしいですわね!!」
「え!? 何のお話」
「口答えするんじゃねーですわ! 我、ヴァルトぞ!? 王子の話を途中で遮るなんて不敬ぞ!!」
「ひえっ申し訳ございません!!」

 とんでもないアホ王子が来たと思われそうですが、これヴァルト様のお体ですし別に何を言っても構わないのでは──と開き直った結果、今まで漫然と感じていた不満をついついぶちまけてしまいました。
 アランデル様たちも私の気迫に圧されて白目を剥いておられますし、恐らく大丈夫です。

 しかし──体裁を気にする余裕がなかったのも事実。

 私は想像以上に、自分の無力さが嫌だったのでしょう。それを他人に指摘され笑われて、どうしたらよいか分からなかったのです。

「立派な公爵夫人になるために、ずっと頑張って来たのに!」

 人前に出ても恥ずかしくないように所作を学び、ベルデナーレ貴族諸侯の交友関係を頭に叩き込み、苦手な駆け引きなんてものもやって社交界では人脈を広げました。
 けれどこの方は、何も見てくれていなかった。
 アランデル様にとっての私は、頭が悪くて都合のいい馬鹿娘なのです。適当に甘い言葉を囁いて、適当に愛でておけばよいと思っていたのです。
 所詮、それだけの存在。

『──どんなあなたでも構わないよ。僕は立派な淑女ではなくて、リシェルという愛らしい女性に会いに来ているのだからね』

 不意にそんな言葉が脳裏を掠め、私はつい鼻で笑ってしまいました。
 あなた、それ目の前の巨漢(リシェル)に同じことが言えますの?
 いつの間にか持ち上げていた二人掛けのソファを床に降ろし、そのまま無言でとぼとぼとお部屋を後にすると、まさかのアランデル様のすすり泣く声が聞こえてきました。どうやら私の暴れる姿が相当恐ろしかったようです。
 泣くのは私の方でしょうに。



「派手に暴れたようだな」

 執務室へ戻ると、カウチにだらりと腰掛けたヴァルト様がいらっしゃいました。セイラム様のお姿は見えませんが、言われずともといった様子でちゃんと書類に目を通されています。
 私はお仕事の邪魔にならないよう、近くの椅子に腰を下ろし、勢いよく頭を抱えました。

「申し訳ありませんわ、ヴァルト様。ちょっと我を忘れてお部屋ごと破壊しそうになりました」
「ああ、命乞いなら聞こえてきた」
「……お叱りになりませんの? ヴァルト様のお体ですのに……」
「誰かを叱るのはセイラムの役目だ。それと」

 ヴァルト様は書類を膝元に下ろし、私の方を見遣りました。
 先ほど、アランデル様に散々馬鹿にされた自分の姿。だというのに、中身がヴァルト様であるせいか、凛としたとても芯の強い女性に見えてしまいます。

「俺はいつも騒々しいリシェル=ローレントしか知らん。人前で取り繕うのは結構だが、他人の勝手な理想に付き合う必要はない。覚えておけ」

 はっと息を呑みました。
 私が言葉を詰まらせている間に、ヴァルト様は何事もなかったように立ち上がります。

「俺も茶会を全うできなかった。お前が暴れたのはそれで相子で良いだろう」
「ヴァルト様……」
「だが俺は『我ヴァルトぞ』なんて言ったことない」

 しんみりとした空気が一転。
 私は適当に喚き散らした先程の自分を思い出し、慌てて誤魔化さんと笑い声を上げました。

「え!? ききき聞こえてましたの!? 嫌ですわおほほほ!」
「あと茶会のときお前、垣根から丸見えだったぞ」
「それはヴァルト様のお体が大きすぎるのが問題なのです! どうせド畜生で性悪のアランデル様も気付いてませんわ!」
「急にボロクソ言い出したな」

 言いつつ、ヴァルト様は私にうるさいとも黙れとも仰いませんでした。書類を捌きながら私の言い訳やら嘆きに耳を傾け、さりとて面倒臭がることもなく相槌を打ち。
 そんな、傍から見れば適当にも思える態度に、私の気持ちが軽くなったのは確かでございました。