「おかえりなさいませヴァルト様! 首尾はいかがでしたの!?」
「ファーブ伯爵は拘束した。芋づる式に他の貴族も釣れたぞ」
「まぁ! 今回も当たりでしたのね!」
「ああ──とりあえず降ろせ」

 私はまたもや得られた収穫に喜び、ヴァルト様を高い高いしてしまいました。いそいそと可憐な乙女を床に降ろしたところで、私は決定版リシェルの夜会ノートを懐から取り出します。

 未だに実感が湧きませんけれど、今この手帳に記された情報によって、第二王子派の皆さまが続々と拘束されていました。
 ヴァルト様はいつも詳細を濁しますけれど、手帳にはどうやら違法薬物や人身売買などの隠語が散見しているようなのです。私ったらそんなこと何も知らずに、ただひたすら聞いたままを書き付けていましたわ。

「じゃあメヌエラ夫人の夜ごとの火遊びというのも、別にお屋敷で毎日花火を打ち上げているわけではございませんのね……?」
「そんなことしてたら一面焼け野原だぞ」
「確かにそうですわね! もうリシェルったらお茶目さん」

 きゃっきゃと私が笑っていると、不意にヴァルト様が自らの袖口に鼻を近づけました。そしてお顔を顰めたかと思えば、すぐに踵を返してしまいます。

「……。着替えてくる」
「え? はい、分かりました……?」

 舌打ちまじりに退室なさったヴァルト様に呆け、私は執務室のソファを振り返りました。

「裏サロンで何かあったのでしょうか、ヴァルト様」

 そこで貴族の罪状を書面にまとめていたセイラム様は、私の問いに一旦筆を止め。されど少々面倒臭そうな口調でお答えくださいました。

「……あちらはあくまでリシェル様のお体ですから、気を遣っているのでは?」
「え?」
「匂いですよ。恐らく屋敷で怪しい香でも焚かれていたのでしょう」

 つまりどういうことですの? まさかヴァルト様、私の体にその匂いが残らないよう、早々にお着替えを!?

「きゃー!? 何ですのそれ! まるで私を大事になさっているかのようですわね!? きゃー!」
「その声と図体で騒がないでください」

 ぴしゃりと叱られてしまった私は、それでも頬のにやつきを止められませんでした。
 リシェル=ローレントとしてヴァルト様が裏サロンに向かうと決まったとき、あまり乗り気でなかったのもそのせいだったのでしょうか。やだ、私ったらまた自分に都合の良い想像ばかりして。

 でもそうとしか考えられませんわー! 大体さっきのやり取りだって新婚夫婦みたいだったのではなくって!?

「調子に乗ってお帰りなさいませだなんて言ってしまいましたわ、もー!」
「喜んでいるところ申し訳ないですが、リシェル様に少しお伝えしたいことが」
「何でも仰ってくださいな!」
「ヘリオッド子爵とお会いしたことはございますか」
「へ……?」

 恥ずかしさを誤魔化すために一人でくねくねとしていた私は、唐突に告げられたお名前に首を傾げました。

 ──ヘリオッド子爵。舞踏会で私に敵意剥き出しのガンを飛ばしてきたイサベラのお父様ですわね。

 娘からはしばしば無言の喧嘩を売られるのですけれど、そういえば子爵ご本人とは会話をしたことがないような。いつも遠目に見るばかりで、はっきりとお顔も思い出せませんし。

「いいえ、ヘリオッド子爵がどうなさったのです?」
「あまり目立ちませんが、子爵も第二王子派に属しているようでして。もしかしたら──」

 セイラム様はちらりと私を一瞥し、抑え気味の声で告げました。


「……ヴァルト様の入れ替わり先として貴女を選んだのは、ヘリオッド子爵かもしれません」


「…………何っですってぇ!?」

 溜めに溜めた息と声を解き放ち、私はおいおいとソファに置かれたクッションに泣き伏せました。

「こんなにも健気で可愛くて頑張り屋さんの私に恨みでもございますのぉ!?」
「確実にあるでしょうよ。娘のイサベラは、エゼルバート公爵家のアランデル様にお熱だそうですから」
「まぁイサベラったらあんなモヤシ男に懸想を!? ご病気ではありませんこと!?」
「一時期ドハマりしていた人が何を偉そうに」
「酷いですわセイラム様っ、正論ばかり言っていたらお友達が減りますわよ!」

 あぁ何てことでしょう。確かにイサベラは以前から私を良く思っていなかったのでしょうけど、だからと言って──第二王子派と結託して、私を公爵家から引き離そうと画策していたとは。
 しかも結果的に私とアランデル様の婚約は完全に遠ざかりましたから、ヘリオッド子爵家は既に目的をちゃっかり達成しているではありませんの!
 実際その原因は私ではなくてアランデル様でしたけれど、何だか癪ですわ! 今頃イサベラはしめしめと公爵家に赴いて猛アピールの真っ最中──。


「──この泥棒猫っ! あんたがいなきゃ全部上手くいったのに!」


 ……あら? 噂をすれば何とやら、この声はイサベラではありませんの?
 私とセイラム様は顔を見合せた後、慌てて執務室の外へと向かいました。