ドッザ──ベルデナーレ王国西方に広がる砂漠地帯で、そこには呪術師が住まう隠れ里があると聞いたことがあります。
 カルミネ様はそこの出身で、王国をふらふらと渡り歩いては独自に調合した薬を売っておられるそうです。風邪に効くものだったり、美容に効果のあるものだったり、その用途は多岐に渡ります。

「王宮公認の薬師(くすし)ってことで通してもらってるの、陛下の御厚意でね」
「まぁ、陛下が! 素晴らしい腕をお持ちなのですね」

 ベルデナーレ王国に限らず、呪術師に対する不気味なイメージは大昔から変わりません。正直に名乗ればあらぬ疑いや注目を浴びてしまうため、そのように隠されているのでしょう。
 陛下とも面識があるのですから、相当厳重な箝口令が敷かれていそうな気もしますけれど。

「というか! カルミネ様、私たちに掛けられた呪術を解いていただけますの!?」
「あーどうどう、ちょい待ち。まず調べてみないと何とも言えないって」

 カルミネ様はそれから、私たちにいくつかの質問をなさいました。
 体が入れ替わってから意識が飛んだことはあるか、入れ替わる直前の記憶はあるか、それ以前に怪しい人物が近付いてこなかったか──。

「意識は飛んだことないですけど……そういえば入れ替わる直前の記憶は曖昧ですわ。ヴァルト様はいかがです?」
「……俺もあまり覚えていないな。いや、確か」

 執務室の隅でじっと考え込んでいたヴァルト様は、ふと何かを思い出したご様子で顔を上げました。

「妙に寝苦しくて服を脱いだ」
「あっ、脱ぎ癖があるわけではなかったのですね!?」
「お前も毛布吹っ飛ばして寝てたぞ」
「きゃあー!? 言わないでよろしいですわよそんなこと!!」
「あたしの前で痴話喧嘩とか止めてくんない? 妬けちゃうわぁ」

 痴話喧嘩!? ぎょっとしてカルミネ様を振り返れば、彼女は傍らに置いていた荷物を漁りながら語りました。

「あんたたち、呪術師の作った薬を飲まされたんだよ。発熱はその副作用ってゆーか」
「薬? そんな、いつ……」
「飲料に紛れ込ませるのが常套手段だけど、紅茶とか飲むことある?」
「めちゃめちゃありますわ!」

 カルミネ様が仰るには、呪術師の薬は毒物と違って発見されにくいのだそうです。単なる毒ならば銀製のスプーンを茶に浸し、変色することで事前に見抜くことが可能ですが──残念ながらその手法は通用しません。
 何せ呪術師の薬は、医術にも用いられる薬草や動物の表皮などを調合した、れっきとした「薬」なのです。
 茶葉に紛れ込ませることが成功してしまえば、ほぼ確実に呪術を仕掛けられてしまいます。

「──はっ」

 そこまで説明を大人しく聞いていた私は、唐突にあることを思い出しました。
 ヴァルト様と入れ替わってしまう前日か前々日か、見慣れない銘柄の茶葉が伯爵邸の厨房に置かれていたような。瓶には何も書かれていませんでしたけど、私の好きな柑橘類の香りがしたから、てっきりお母様が新しく買ってくださったのかと。

「うう……絶対あの茶葉ですわ……」
「猫ちゃんは心当たりあるみたいね。ヴァルトは?」

 未だ荷物から怪しげな瓶を物色しているカルミネ様の問いに、ヴァルト様は暫し沈黙されました。やがて静かにかぶりを振っては、肘置きを指先で軽く叩きます。

「入れ替わる前に飲んだ覚えはない。だが──その薬、ただの水に混入させても分からんものか?」
「んー、味が多少変わる程度? 果汁水とか何とか言えば誤魔化せるレベル」
「そうか。だとしたら訓練中に渡された水かもしれん」

 用意されていたヴァルト様の飲み水に、何者かがこっそりと薬を混入させたということでしょうか。
 王宮の人間が飲食物を全て管理している食事時と違って、屋外で行われる訓練中は隙が比較的多いですし。可能性は十分にありますわ。
 私とヴァルト様がまんまと薬を盛られていたことが判明したところで、カルミネ様が「さて」と居住まいを正されました。

「結論から言うと、二人の魂を元に戻す薬は作れる」
「本当でございますか!?」
「ただし、材料が足りないから時間が掛かるよ。最低でも二週間……場合によっちゃひと月は要る」
「ええ!? ひと月後って──」

 ──立太子の儀が控えているのではありませんの?

 両頬を手で押さえ、私は青褪めました。
 もしも治療薬の完成が遅れれば、立太子の儀に間に合いません。私がこのままヴァルト様として出席するか、もしくはそれまでに第二王子派から辞退に追い込まれるかの二択ですわ。

「そ、そんな……ともかく五日後のパーティはもう、欠席するしかありませんわね……」
「ん? 何か予定あんの?」
「マクシム様主催の舞踏会が開かれます。今のヴァルト様を晒しものにするつもりでしょう」

 動揺する私の代わりに、セイラム様が忌々しげに答えてくださいました。確かに五日後の舞踏会は楽しく踊るだけの催しではなくて、ヴァルト様の評判を貶めるための悪意あるものですわ。
 ここは大人しく病欠するしかないと、私とセイラム様は意見を固めたのですが。

「ああ、なら──あんまりお勧めしたくないけど、一時的に二人を元に戻す応急薬、作ってあげよっか」
「……え」

 カルミネ様はにこりと微笑まれると、その応急薬について語ったのでした。