伯爵家の一人娘として、私──リシェル=ローレントは昔からそれはもうチヤホヤチヤホヤと育てられました。
 侍女は褒め称えながら長い銀髪を丁寧に梳き、私の好きな柑橘の香水を振りかけてくれます。
 ドレスを着付ける際も、彼女らは賛辞を忘れません。今朝は細やかなレースの刺繍が施された、淡い桃色のドレスを選びました。姿見に映った私を見て、皆が「お可愛らしい」「姫様の前ではどんな花も霞んでしまいます」と口を揃えます。
 それが毎朝の日課です。何て贅沢で恵まれているのかと、私は朝を迎えるたびに神より賜りし幸運に感謝するのです。


「どうぞお手を」

 お昼時、手を差し出してくださった金髪の麗しい殿方は、近頃よくお屋敷にいらっしゃるエゼルバート公爵家の御嫡男アランデル様です。
 すらりとした長身、甘やかな笑顔、柔らかな物腰。ただそこに佇んでいるだけで王国のあらゆる女性を虜にしてしまうそうな。
 確かにアランデル様はとても紳士的で、家の身分が下である私にも大変優しく接してくださいます。こうした何気ないエスコートひとつ取っても、指先から足の運び方まで洗練されていらっしゃいますから、噂に違わぬ素晴らしい御方なのでしょう。

「リシェル? どうしましたか」
「あ……まぁ、ごめんなさい! せっかくのお茶会ですのに、私、ぼうっとしてしまって」

 うっかりアランデル様の横顔に見とれていた、なんて恥ずかしくて言えません。
 火照った頬をどう隠そうかと指先をさまよわせていると、アランデル様にくすりと笑われてしまいました。

「……リシェル、あなたは本当に可愛らしいね。恥じらう顔も綺麗だ」
「そ、そんな」
「いつも淑やかで慎ましくて……こうして手を重ねるだけでも、折れやしないかと躊躇してしまうよ」
「ふふ、ご冗談はよして」

 そう言いつつ、私は頬にさらなる熱が集まるのを感じました。
 お父様やお母さま、侍女たちだけではなく、多くの殿方がこうして私のことを褒めてくださいます。
 けれど──アランデル様の言葉はひときわ甘く、胸の奥を擽るのです。
 もしかしてこれは、御伽噺で読んだ恋というものなのではないかと、私は最近になって思い始めました。

「私、アランデル様が仰るほどの立派な淑女ではありませんわ。お母さまには、そそっかしいと呆れられてしまいますし」
「どんなあなたでも構わないよ。僕は立派な淑女ではなくて、リシェルという愛らしい女性に会いに来ているのだからね」

 重なった大きな手にそっと指先を寄せると、アランデル様がゆっくりと、温かく私の手を包んでくださいます。

 ああ、私はきっとこの方と結ばれるのでしょう。
 幸せな気分で目を閉じ、私はゆったりとした至福の時間を噛み締めました。
 けれど──私は噛み締めすぎて、欲張り過ぎた幸せの籠を、そこで破いてしまったのです。


 ▽▽▽


「──きゃああああ!?」

 喉から漏れたのは可憐な乙女の悲鳴ではなく、野太く裏返った聞くに堪えない絶叫でした。
 視界に映るのは見たこともない丸太、いえ強靭な両腕。
 白魚のような滑らかだった手は骨ばり、節くれ立って荒々しい。
 胸には鋼のように鍛え上げられた胸筋が隆起して。
 開いた両脚の間には、何か見てはいけないものが付いていました。

「きゃああああ!!」
「うるせぇなゴリラ!! 朝から何を騒いでるんですか!!」

 勢いよく部屋の扉が開け放たれ、何故か素っ裸だった私はまたもや悲鳴を上げて毛布を被りました。
 一体何がどうなっているのでしょうか。しかも今とんでもない暴言を吐かれた気がするのですが、もしかしなくとも私に向けたものだったのでしょうか。
 ガタガタと震えて強く目を閉じても、夢が覚める気配はありません。
 暗い毛布の内側には、未だ猛獣のごときムキムキの腕が映っています。

「な、何が、どうなって」
「珍しく起きるのが遅いから体調が悪いのかと……その様子でしたら叩き起こしても問題なかったようですね。ほら、起きてください!」
「え、あの、や、やめてくださいまし!」
「やめてくださいましィ!? ふざけてないで早く起き──ビクともしない……」

 私は喉から発せられる低い声と、何故か一向に剥がされる気配のない毛布に混乱しました。え、もしかして私、殿方の力に逆らって毛布を押し留めているのでしょうか。
 そんな馬鹿なと腕の力を緩めた瞬間、視界が明るく照らされました。
 ベッドの上に全裸で蹲る私に、毛布を両手で引き剥がした細身の男性が怪訝な表情を浮かべています。
 大事件です。

「う──うおおおおおお!!」

 人生で初めて上げる怒号と共に、私はその殿方を投げ飛ばしたのでした。