「まあな。
ほら、シートベルトちゃんとはめて。」
「あっ、うん。」
「気分悪くなったら、すぐに言えよ。
我慢しなくていいからな。」
湊はそう言ってから、私の額に優しくキスを落としゆっくり車を走らせた。
「星南のアパートなんだけど、ここからの道のりは分かる?」
「分かる。案内くらいできるよ。」
「そうか。じゃあ、それなら安心だな。」
湊の運転は穏やかで、乗り心地がよかった。
車を走らせること20分。
私の住んでいるアパートへ着いた。
「…あのさ、湊は車の中で待ってていいからね。」
「えっ?」
「いや、あんまり綺麗じゃないし。」
たしか、解熱剤を探し回ってキッチンもリビングも散らかったままで病院に来ちゃったからな。
それに、母親が残していった物だってたくさんある。
女として生きる道を選んだあの人が、使っていた物だってそのままにしてある。
母親の使っていた物は、いつも派手で私とは真逆の好みだから、湊に見られたくない物だってたくさんある。
「散らかってるし、あんまり見せたくないんだよね。」
そう言ってるけど、それでも湊は黙ったままで視線を外してくれなかった。
「…別に散らかっていたとしても俺は気にならないけど。
むしろ、少しでも星南のことを知るきっかけが見つかるなら、一緒に荷物をまとめたいんだけどな。」
「だけど。」
「ほら、もう観念しろ。」
湊に手を取られ、私は中に入った。
「なるほどな。」
「だから嫌なのよ!あんまり、あちこち見ないでくれる?」
「分かったって。あんまり怒ると発作が出るぞ。」
「誰のせいよ。」
私は、湊に背を向けて少し大きめのダンボールを取り出し、必要な物を詰めていった。
「それに入りきるか?」
「うん。要らない物の方が多いし。それに、あんまりたくさん持って行ったら湊の家が狭くなるでしょ?」
「そんなこと、気にしなくていいよ。」
「私が嫌なの。
あんまりたくさん持っていたくないの。
それに、そもそも私の物なんて少ないの。
ほとんど、あの人が残していった物だから。」
そう。
私の私物は、ほとんどないに近い。
自分の部屋もなければ、この狭い空間に私の物をあまり増やしたくなかった母は、私が何かを欲しいと言っても買ってもらえることなんてなかったから。
物欲というものが、それほどない私だから高校生になって、バイトができるようになって、お金を稼げるようになっても、あまり好きなものを買わなかった。
必要最低限の生活ができれば、それでいいと思ったから。
「…そうか。」
荷造りは、30分程で終わった。
それから大家さんと話をして、とりあえず納得してもらうことができた。
鍵を大家さんに返してから、私はアパートを出た。
やっと、あの家に帰らなくてもいいって思うと心の中にあった鉛が、取り除かれたように気持ちも晴れやかだった。
夜の過ごし方を、考えずに済むのなら。

