「嫌です、尾張になんか行きたくありません」


 会合を終え執務室を出て庭園を横切っていると、女の声が耳に届いた。


 帰蝶だ。


 「もうお父上の心は、決まっておりますゆえ……」


 尾張に嫁になど行きたくないとごねている帰蝶を、母である小見の方がなだめているようだ。


 「尾張の大うつけの噂は、私も聞いております。そんな人に嫁ぐなどまっぴら御免です」


 「父上のお決めになることに、間違いはありません。きっとお考えになられていることがあって……」


 「織田の分家なんて、絶対に嫌です!」


 母に背を向けた帰蝶と目が合ってしまった。


 私の存在に気付いた帰蝶は無視して顔を背けた。


 横にいる正室・小見の方はすまなそうに会釈した。


 小見の方は父の正室であるが、おごり高ぶったところの無い慎ましやかな方だった。


 それに引き換え帰蝶は……。


 五歳ほど年下の異母妹・帰蝶は、兄である私を見下していた。


 年若いながらも、正室生まれの第一の姫としての誇り高く、側室の子である私は年上であろうと目下に感じていたようだ。


 兄を兄とも思わぬ言動は腹立たしかったし、私も正直苦手だったけれど、父はこの帰蝶を寵愛していた。


 容姿端麗で利発で、気も強い。


 自分に多いに似たところのあるこの娘を、父は大層気に入っていた。


 「男ならば真っ先に我が跡取りとしたのに」と酒の席などでよく口走っていると聞いて、私はあまり気分はよくなかった。