私にはお父さんの記憶がない。


小さい頃、家を出て行ったらしい。


男遊びが激しい母親に我慢ができず、離婚したのだろう。


父親の話をすると、母は途端に機嫌が悪くなる。


そんな私の記憶に、かすかに浮かび上がってくるお父さん。


『夕子は長い髪がよく似合うなぁ』


顔もぼんやりしている。


でも、優しい声だけは記憶に残っていた。


それから、私は髪の毛を伸ばし続けたんだ。


髪の手入れだけは、怠らなかった。


またいつか、お父さんに褒めてもらえるように…。


「モデルじゃなく、美容師やろうかなー?」


ザクっ。


「私も切りたーい!」


ザクっ。


「美香も切る?」


ザクっ。


「いい。近寄りたくないから」


ザクっ。


それは命が削られていく音だった。


足元に広がっていく、死骸のような髪の毛。


お父さんが褒めてくれた、私の髪の毛たち。


お父さんが──。


「いっそバリカンしちゃう?」


まどかが私の髪を引っ掴み、その根元に刃先を差し込んだ。


「もうやめて!」


その手を払い除けた時、まどかがバランスを崩す。


ハサミが、私の頬を撫でた。