一か月後。

部屋の中は蒸し風呂状態で呼吸をするだけでも息苦しさを覚える。

汗と涙が染み込んだ枕カバーは常に湿っていて異臭を放っている。

真っ暗な部屋の中は荒れ放題で、ブーンっという蠅の羽音が鼓膜を震わせる。

ダニにさされてしまったのか体中が痒く、かきむしった皮膚から血が滲む。

「咲綾……。ご飯、ここに置くからね。今日こそ一口でもいいから食べてね……?」

部屋の外で母の声がする。でも、返事はしない。

する気力する今のあたしには残っていない。

ただベッドに寝転んで両手の指の皮をひたすらめくり続ける。

あの日……目を覚ましたあたしは何故か病院のベッドの上にいた。

体がひどく傷んだ。全身打撲かつ鎖骨や肋骨などを複数個所骨折していたらしいし無理もない。

あたしにケガを負わせた男……菅田という人間に心当たりは全くなかった。

頭を強くたたかれたせいなのか、あたしは断片的に記憶を失っていた。

名前や住んでいる場所はわかるのに、中高とどんなふうに過ごしたのか覚えていない。

持っていたはずのスマホもなくなってしまっていたから、自分がどんな人たちと付き合ってきたのかも分からない。

少なくとも入院している間にお見舞いにきてくれる友達は一人もいなかった。

それがすべてを物語っているようでなんだかいたたまれない気持ちになってしまった。

その時、風が窓ガラスを揺らした。

瞬間、あたしは耳をふさいで息を殺す。

なぜかはわからないけれど常に何かに追われているような気がして家からもこの部屋からも一歩も出られない。

過去のあたしに……一体何があったんだろう。

怖いのだ。とにかく、外に出てはいけないという強迫観念があたしを苦しめる。

目をつぶると可愛らしい顔をした女の子が目に浮かぶ。

知っているような気もするけど、思い出してはいけないような気もする。

彼女のことを考えると鳥肌が立ち過呼吸になってしまう。

「死ね死ね死ね死ね」

爪を噛み一点を見つめながらつぶやく。

「消えろ消えろ消えろ消えろ」

『因果応報ですよ』

耳の奥で声がする。

「うるさい!!黙れ!!!」

『因果応報ですよ。因果応報ですよ。因果応報ですよ』

何度も何度も耳の奥で壊れたスピーカーのように繰り返される言葉にあたしは立ち上がりテーブルの腕の鉛筆を手に取った。

音が聞こえるのは鼓膜があるからだ。

ならば破いてしまえばいい。そうすれば、声は聞こえない。

あたしは耳の奥に鉛筆を押し込み、力いっぱい押し込んだ。

「ぐぁぁぁあーーー!!!」

脳天まで突き抜けるような痛みに絶叫する。

右耳から音が聞こえなくなったかわりに耳からは大量の鮮血が首筋まで滴り落ちる。

「今度は左……。ふふっ、そうすればもう声は聞こえないんだから……」

あたしは左耳に鉛筆を押し込みながら満面の笑みを浮かべた。