5時間だけのメイド服

 二階へ行くと、わたしは一度も叩かずに、健人の部屋の扉を開けた。

 「おっと驚いた」と、嘘くさい声が飛んでくる。「ノックくらいしてよ。やり場のない衝動に悶えているところだったらどうするんだ」

 「は? なに言ってんの?」

 「おれだって悩める子羊さ」

 「え、なに。本当に気持ち悪いんだけど」

 「罵られるのは好きじゃないよ」と笑う彼に、わたしはとうとう返す言葉をなくした。なにを言っているんだ、この人は。日本語の中でも、一度も聞いたことのない言葉が繰り返し出てきているかのような、理解の難しさ。専門用語ばかりが並んだ文章を読んで聞かされているかのような。

 「まあいいや」と、健人は話の軌道を修正する。

 「じゃあ、今日もよろしくね」と言い置いて、部屋を出ていく。

 「なによ、今日も着ろって⁉」

 扉はかちゃんと閉まり、答えなど返って来やしない。ああそうですか、わたしは桜庭家のメイドですか。

 「日給五千円で足りるかっつーの」

 昨日だって結局、桜庭家に近い場所にいた時間は五時間じゃ済まなかった。サービス残業というやつ。本当に雇用関係にあったら、もう大事態だ。

 わたしは壁を振り返って「はあ⁉」と声を上げた。ピンクだ、今日の服、ピンクだ。ピンクの生地に、白いふりふりがいっぱいついている。冗談じゃない、なんの嫌がらせだ。

 「無理無理、絶対無理……」

 わたしは必死にあちこちを探し回った。――昨日のは? 昨日の白黒のやつは? あれが限界だ、白とピンクなんて冗談じゃない……!