5時間だけのメイド服

 手を拭いたハンカチを、教室の前でポケットにしまった。

 すぐそばの扉から静かに出てきた男子に、どくんと胸の奥が跳ねる。

 「びっくりした……!」と呟くと、彼はこちらを向いた。

 「やあ、相川さん」と、前が見えているのかわからないまでに目の細い相手は言う。

 出た、と思った。世界中の男子高校生の敵。糸のように細い目は優しく笑っているようで、いやにすっとしていて形の整った鼻、その下には、これもまた、嫌味のように形の整った唇。厚すぎず薄すぎないそれは、もう完璧としか言いようがない。ふわりと下りている前髪。全体的に、長くも短くもないちょうどいい長さの、綺麗な黒の髪の毛。悔しいけれど綺麗なのだ、この姿が。その上、性格もよくて成績もいいときている。反則じゃないの、これって。

 心の中で深呼吸をして、「やあやあ、桜庭君」と、わたしは彼の口調を真似てみた。

 「放課後……ちょっと時間取れないかな」

 「え……どうして?」

 「いや……」

 桜庭君はすっと目を逸らす。そしてまた、わたしを見た。

 「うちに来てほしいんだ」

 「え、なんで?」

 「いてほしいんだよ」と、彼は細い目で笑う。

 「え、なんで?」

 だから、なんで。

 「ただで、とは言わないよ」

 少し低くなった声に、ぎくりと体が震えそうになる。こっそり深呼吸して、精一杯笑って見せる。

 「なに言ってるの、お礼が欲しいなんて言ってないよ。どうして、桜庭君の家に行かなきゃいけないのって」

 「おれがいてほしいんだ」

 それはなんてわがままな。

 「それに意味はあるの?」

 「相川さんに損はさせないよ」

 「いや、損っていうか……」

 ふと、桜庭君が目を開いた。と言っても、普段から開いているのだろうけれど。糸のような目、が、細い目、になった。

 桜庭君は、手のひらをこちらに向ける。

 「五千円――で、どう?」

 「どう……ってなによ」

 「一日五時間。五千円」

 「は?」

 「その金額で、おれの家に来てほしいんだ」

 「だから、なんで」

 「いてほしいから」

 桜庭君が答えるのと同時に、わたしも心の中で言った。

 わかってるんだよ。そういうことじゃなくて、桜庭君はどうして、わたしに家にいてほしいのかって訊いているのに。

 ただ……。一日五時間、五千円となると、一時間あたり千円。五時間となると、今のバイトと同じ時間。そしてそのバイトの時給は、千円よりも安い。

 「悪い条件じゃないでしょう? 黙っててあげるから」

 ずきん、と、胸の奥が痛んだ。笑顔が引きつるのも感じた。

 「ははっ……なに、言ってるの?」

 「相川さんって、意外と悪い人だよね。放課後、ずいぶん忙しくしてるみたいじゃない」

 学校に秘密で、と、桜庭君はひんやりした声で、自らの唇の前に、すらりと長い人差し指を立てた。

 背中がさあっと冷たくなる。胸の奥がどきどきとうるさい。それを真似るように、呼吸も速くなる。