君にさよならを告げたとき、愛してると思った。



ずるいなあ。嫌だなあ。


アルコールでさえ私の心を穏やかにしてはくれなかったのに、郁也の笑った顔を見ただけで、靄がすうっと晴れていく。


「今日寒いな。うち行こうか」


冷たい手で私の手を握る。寒いなら地下鉄に乗ればいいのに、郁也が歩き出した方向は、駅の逆方面だった。


郁也は練習後も飲みに行ったあとも、必ず徒歩で家まで送ってくれている。そういえば、『歩くのけっこう好き』って言っていたっけ。


ここから郁也の家まで、徒歩二十分。私も歩くのが苦じゃないのは本当だけれど、それは基本的にそうっていうだけであって、ひとりで歩いている時は苦に感じて地下鉄に乗ることも時々あった。


でも郁也といる時は、その距離を苦に感じたことは一度もない。郁也と手を繋いで歩く二十分間は、ひとりで乗る地下鉄の三分間よりもあっという間に感じるのだから。


家の中に入った郁也は「さみ」と大きく身震いをして暖房をつけた。


私の家は冬になればリビングにこたつが設置されるけれど、郁也の家はこたつがない。


必要最低限の物しか置きたくないから、と言うくせに、ギターは三本もあるし音楽雑誌だけは大量に並べられているし、私からすると不要な物もたくさんあるように見える。


まあ、好きな物にだけ囲まれているところは、郁也らしいけれど。