ひとつの講義室の前に立ち止まり、無言のままドアノブを握って手前に引く。ドアに貼られている紙には、おそらく男性の字で『軽音サークル』と黒マジックで大きく書かれていた。
“名前さえ覚えていない彼”ことフミくんは、サークルメンバーだったのか。昨日、勝手に親近感を抱いた勢いで話しかけなくてよかった。
中には誰もいなかった。ギター、ベース、ドラムの他にもいろいろな楽器が置いてある。
彼は私が部屋に入るのを確認するまでドアをおさえてくれていて、なんだか意外だと思った。
なんていうか、背が高くてちょっと目つきが悪いせいか、少しぶっきらぼうな話し方のせいか、そういう気遣いをできそうなイメージがなかったから。
我ながら失礼極まりないし、笑って許してくれそうなタイプにも見えないから、言わないけれど。
「お前、back number好きなんだよな?」
彼がドアノブから手を離すと、古びたドアは「ギィ」と音を立ててバタンと閉まった。外の音が遮断された部屋の中はシンと静まり返って、また私の心臓は少しずつ音を速めていく。
パイプ椅子に座った彼は、パイプ椅子の横に立てかけてある二本のギターに手を伸ばした。バンド、と言っていたからエレキギターを選ぶのかと思ったけれど、彼が選んだのはアコースティックギターだった。


