郁也に気付かれないように、さりげなく椅子を後ろへずらしていく術はないだろうか。あらゆる作戦を考えてみたけれど、なにをどうやっても不自然になってしまう気がして動けなかった。
結局、練習初日は最後まで歌い切ることができずに終わった。
講義室の酸素を全て吸い込んだのでは、と心配になるほど大きく息を吸い、代わりに二酸化炭素を盛大に吐き出しながらギターを置いた郁也は、「ひとりでも練習しとけよ」と私に人差し指を向けて立ち上がった。
ただ一日だけ付き合って、歌っている動画を撮るだけだと思っていた私は、まさかこんなことになるなんて思っていなくて。
こんなの聞いていないと言い返してやりたい気分だけれど、余計に怒られることはわかっていた。
「はい……。ありがとうございました」
ただ座って歌っていただけなのに心身ともに疲れ果てた私は、パイプ椅子からヘナヘナと立ち上がってぺこりと頭を下げた。
今はもう同い年だとわかっているのに、なぜか敬語を使って。だってなんか、鬼コーチみたいだ。
郁也が講義室を出るまで見送ろうと頭を下げたままだった私に、「なにやってんだよ」と笑った。
「え?」
「帰らんの?」
「帰るよ?」
「一緒に帰らんの? 家まで送るけど」


