原曲キーではなく、おそらく三つか四つほどキーを上げている。『花束』はサビ以外の音程が低いから、私が歌いやすいようにキーを上げてくれたのだと思った。
ギターの音で音程を確かめつつ、指先でリズムを取りながら、息を大きく吸って最初のフレーズをゆっくり吐き出した。
「ストップ」
「え?」
まだワンフレーズしか歌っていないのに、郁也は演奏を止めて私をキッと睨みつけた。
「全然声出てねぇ。やり直し」
つい数秒前まで愛おしそうにギターを弾いていた人と同一人物とは思えないほどの目つきと低い声。もしかして二重人格なのかな、この人。
「だって、私カラオケでしか歌ったことないし、こんな静かな場所じゃ、なんか緊張する」
「恥ずかしがってる場合じゃねぇだろ。いいから、やり直し」
シンと静まり返った誰もいない室内で、たった一メートルの距離で向かい合って、ギターの音だけで歌う。
そんなの初めてなんだから緊張して当たり前なのに、郁也は私の言い分を聞こうともせずに何度も何度もやり直した。
もう一メートル、いや、せめてもう三十センチでも距離を空けてパイプ椅子を置いてくれたら歌えたかもしれないのに。


