「………ういざくら?」

「え?……わっ、ちょっと!勝手に人の手帳見ないでくださいよ!」

「人から見えるところで手帳に記入する方が悪いだろうが」

「だってさっきまで誰もいなかったから!」

「そんなに人に見られて嫌なら、家で書けばいいだろう?」

「それはそうですけど……っていうか、これ、”ういざくら” じゃなくて ”はつざくら” って読むんですよ?まあ、”ういざくら” でも間違いではないし、そっちの方がなんか可愛い感じもするけど」

「へえ……はつざくら、か。それはそれは大変勉強になりました。でもどっちもはじめて聞いた気がするな」

「春の季語なんだって」

「ああ、それっぽいな」

「はじめて咲いた桜って意味らしいんですけど、やっぱり ”はじめて” って、いいですよね」

「そうか?俺は……初桜もいいけど、遅咲きの花の方が好きだな。なんかこう、じっくり寝かせてから開花するって感じがしてさ」

俺は、他愛もない世間話として、そんなことを言ったのだ。
相手はよく知る人物で、だからてっきり、えー、そうですか? なんて可愛らしいトーンの反論が聞こえてくるだろうと、勝手にそう思っていた。

けれど、少しの間があって聞こえてきたのは、彼女の笑うような吐息だった。
そして、


「それ、わかってて言ってるんですか?」

まるで呆れたような、拗ねたような、でも、どこか傷付いたような表情を見せる彼女に、俺はかすかにたじろいだ。
けれどちょっと迷ったものの、結局、

「何のことだ?」

と正直に返事したのだった。
すると彼女は「いえ、なんでもありません……」と首を振って、手帳をタン、と閉じた。
まるで、この話題の終了を告げるかのように。
その態度と、俺から逸らした横顔が、とても大人びて見えた。


………そうか、彼女と出会ってからもうすぐ三年になるんだよな………

その大人びた横顔に月日の流れを感じてしまう。


「ま、とにかく気を付けて帰れよ」

俺はぽんぽん、と彼女の頭を軽く叩いて、その場を後にしたのだった。