フォールでのアニエスの暮らしは、それほど大きく変わらなかった。
 寝室が聖女室からベルナールの部屋に移ったくらいだ。

 毎日、診療所に顔を出し患者の施術をする。時々、ベルナールの視察についていき、領内の町で患者を診た。
 アニエスののぼりが立つと、みんな喜んで集まってきた。小さな傷や軽い風邪程度でも、アニエスに治してほしいと言った。

「嬢ちゃんに診てもらうと、ほかもなんだか元気になるんだ」
「もう嬢ちゃんじゃないぞ」
「そうだ。奥方様だった」

 どこへ行っても笑顔が溢れていた。



 一方、王都には全国津々浦々から聖女が集まっていた。
 引退するにあたって、ドゥニーズはベレニスの許可をもらって、自分の弟子たちに泉の水を汲ませた。日頃の修行の成果に加えて泉の力を得た聖女たちは、大変強い癒しの力を持つことになった。

 女神の泉には本物の癒しの力があるという噂が広まり、聖地を巡礼するかのごとく、真面目な聖女たちが集まってきた。
 よい聖女が増えることは国にとってもよいことである。
 ベレニスは聖女たちが泉に登ることを許可し、また広く推奨したのだった。 

 泉の水を汲むのは午前中と決まってる。
 毎日、朝早くから石段を登る聖女たちの姿が見られた。

 王と王后、王太子エドモンとその妃になったネリーも、ちゃんと石段を登っていた。
 ドゥニーズが怖いからとうのもあるが、泉の神様から聞いた言葉を、ネリーがエドモンに伝え、エドモンからアンセルムとセリーヌにも伝えたせいもある。

「千日、頑張ればいいのだ」

 四人は、それだけを励みに石段を登った。

 早起きをして泉までの石段を登り、しっかり朝食をとってから政務に向かうようになったアンセルムは、なんだかスッキリした頭でサクサク仕事をするようになった。
 臣下の評価はうなぎのぼり。身体も健康になった。

 ボンキュッボンから、キリっとしたアスリート体形に変わったセリーヌとネリーは、以前ほどドレスや宝飾品に興味を示さなくなった。贅沢をして着飾るような体力的余裕がなかったせいもある。

 ある朝、ドゥニーズが泉の水を汲んでいると女神の声が聞こえた。

 ――王家の人間も、少しはマシになってきたね。

 よい王になってくれればいいのだと、女神は言っている。
 女性の美しさや、遊びや贅沢にうつつを抜かすのではなく、国のため、民のために、働く王であってほしいと。

 しかし、そんなに簡単に人は変われない。
 二年ほど頑張った王家の人たちは、だんだん飽きてきて油断するようになった。
 ある日、揃って寝坊をし、慌てて泉に登っていくと、女神が嬉しそうに言葉を発した。

 ――残念でした。昼をすぎたので、最初からやり直し!

 石段を登り始めて約二年と九ヶ月、997日目のことだった。