祭壇に行ったあの夜以来、リファの指先には小さな若い芽や、小さな白い花がまとわりつくようになった。リファが眠りから覚めると、ベッドに様々な花や草があふれていたことも多々ある。そのことをジニアスとアルバに不思議だと話すと、ふたりとも、まあ花が似合う容姿だから別にかまわないのではないかと、あまり真剣に取り合ってくれなかった。
 一方双子の王子たちは、リファのその様子を観察したいとのたまい、ジニアス監視のもと、リファが眠った後のスケッチと観察などをしたりした。いったいなんの罰ゲームだろうかとリファは半眼になる。
 オリエイエのニカにいたっては、がわいいいと興奮しすぎてぶっ倒れる始末である。オオガミの魔法であることは伏せられ、リファの魔法だとジニアスがニカに伝えると、さすが天使だ、と納得したらしいのだから、リファは青ざめた。どうか嘘だと言ってほしい。
 アイとイフは、オオガミの魔法によってなかなか植物が育たないこの地にあって、こんなきれいなお花は初めて見ると素直に喜んだ。
「すごいですわ! 小さい頃、図鑑で見たお花!」
「見て、アイ。葉っぱの模様ってこんなに繊細なのね」
 そんなことを言いながらおおはしゃぎしている。
 リファが眺めていると、イフがそれに気づいて照れくさそうに笑った。
「私たち、茶色い大地にしわがれた葉がなんとか自生する国で育ってきたから」
「オオガミ様がいた頃は、緑いっぱいの国だったってひいおばあちゃんに聞かされて育っても、それがどういうことがよくわからなくて」
「でも、こんなふうにリファ様が出してくれたお花や植物を見ていたら、どういうことかわかる気がします。きっととても、美しい国だったんだわ」
 そう言って笑うふたりがあまりにも尊くて、そしてなによりもうれしかった。
(私がすることで、こんなに喜んでくれるなんて)
 ――なぜ、授けられたのがこの〝緑の指〟だったのか、リファには解った気がした。
(オオガミ様、あなたが守りたいと願う民に喜んでもらえるように、この力を使おう)
 アイとイフの笑顔を見た日から、リファは出せるだけの草花をぽこぽこ出すようになった。彼女たちはじめ、アルフレートの人々にプレゼントするために。
 ちなみにクロマユはアイやイフが作ってくれた花冠を頭にのせてもらい、うれしそうに飛び回っていた。

「――できませんかね?」
  アルバが神妙な声でリファに問う。
「やったことないからわからないよ」
 アルバの問いかけに、リファは困ったように肩をすくめた。
 ここはオオガミの眠る祭壇のある庭である。あの日、リファが図らずも咲かせた緑の輪は今もみずみずしく、小さな白い花はキラキラと咲き誇っていた。
 あの夜、かっこ悪くも逃げたが、リファが〝緑の指〟を使えるようになったことはすでに皆にばれている。この祭壇周りの緑の輪も、当然リファの仕業だとばれていた。
「これ、誰か水やりしてるの?」
 リファが気になってアルバに聞く。キラキラと陽光を浴びて、葉や花についた雫がきらめいていた。
「私です」
「えっ」
 リファは馬鹿正直に驚いた。まさかあの身の回りのことがいっさいできない神官様自ら、植物に水やりをしているとは思いもしなかったのだ。
「オオガミ様は、本来なら緑を愛する方なんですよ」
 名前からして狼に近いものがあるからだろうか 。ハンスたちもまた緑豊かな環境を愛し、森に縄張りを持ち暮らしている。
「それなのに、自分で森を消しちゃって悲しかったかもしれないね」
 リファがなんとはなしに言うと、アルバは一瞬悲しそうに瞳を細めた。
「そうなんです。ですから、あなたがこうして緑の輪を作ってくださった日、私はとてもとてもうれしくて」
 そう言ってはにかんだアルバがとてもかわいらしく見えて、リファはぎゅっとまぶたを閉じた。
 あのアルバにそこまで言われては、やるしかあるまい。
「この庭を緑いっぱいにしたい、か」
 眠るオオガミ様を包むように、たくさんの緑で囲んであげたいというのがアルバの願いだった。
 今のリファになら、不可能ではなさそうだ。
(とはいえ……)
 手もとに収まるほどの花をぽんぽこ出すのとは規模が違う。リファひとりの力でこの広い庭に豊かな緑を茂らせることがきるかと問われたら、正直自信がない。
「……クロマユ」
 リファは、自分の肩にくっついているクロマユを呼んだ。
「ちょっとだけ力を貸してくれるかな」
 クロマユは「ピイ」と答えると、リファの額にそっと口づけをくれた。そこからぽかぽかと熱が広がって、全身がぬるま湯につかったような感覚に陥る。
「アルバは離れてて。なにが起きるかわからないから」
「今のセリフ、すごい大物の魔法使いっぽいですよ!」
 リファにやる気を出させるつもりなのかなんなのか、どう聞いても必要ない茶々に少しイラっとしながら、リファは祭壇に向きなおった。
 この、なにも語るはずのない無機質な、けれどなにか不思議な力をもっている白い岩は、この場に立つ人間から言葉を奪う。たかが岩なのに、それともその岩の下にオオガミ様が眠っているからなのか、とても神々(こうごう)しく感じるのだ。
 リファは祭壇をじっと見つめながら、街で聞いたビケの言葉を思い出していた。
『――この地が枯れたことなど、この国の誰も気にしていない。あなたが自分を責めることは、決してないってな』
 もしオオガミ様が自分を責めているなら、たくさんの緑に囲まれることでその想いを癒やしてほしいと思った。
 そうすることで、ビケやほかの町の人々が、街を飾る色鮮やかな布に託した願いが、アルバの想いが、届くのではないかと思ったのだ。
 リファは小さく深呼吸すると、そっと地面に触れた。
 指先にくるりと巻いていた蔦が、やはりあの夜のように土に惹かれてリファから離れていく。
 ぼこぼことまるでもぐらでも通っているかのように土が盛り上がると、そこから勢いよく芽が飛び出してきた。
 有名なアニメ映画のワンシーンを思い出し、リファはつい、そのシーンの真似をしてしまった。両手を上に掲げて、芽の成長と共にぐっと背伸びする。そうすると、ぽぽぽんと小さかった芽がさらに成長した。
「おおお」
 アルバが語彙力を失って、そんな声を漏らしている。
 猛烈に恥ずかしくなって、同じ仕草を繰り返す勇気はリファにはなかった。見た目は幼女でも、中身は転生七回目の成人女性なのである。
 一瞬で小さな芽から大きな茎になり、見る見るうちに葉をたくさんつけていく様は、ファンタジックな童話の世界を彷彿とさせる。木が成長するときにも音はするのだなと、リファは思った。
 ミシミシ、パキパキ、キュルキュル……。
「おっきくな~れ」
 リファは盾を出すときのように、まるで植物に語りかけるように言ってみた。
 すると、地響きがリファとアルバの体を揺らした。
「え!?」
 ミシミシミシ……!
 木々の軋(きし)む音が耳をつんざく。
 アルバが慌ててリファのところへ助けに向かおうとするが、リファのもとに来る前に長衣を踏みつけてすっ転んでいる。ちょうど通りがかったアンガッサが、あきれたようにアルバを支え起こしていた。
 ドドドド……地中深くを、なにか巨大ななにかが這(は)っているかのような感覚だった。そうまるで、巨大なミミズや、蛇のような。
 リファはぞっとした。
「ジ、ジニアス……」
 思わずジニアスに助けを求めるが、あいにくこの場にジニアスはいない。
 ――下から巨大ななにかが、土を突き破って突き上げてくる、
「きゃあっ」
 どっと鼓膜を破るような音がしたかと思えば、リファの目の前で巨大な幹が飛び出した。立派な幹である。土の中で何年と栄養を蓄えてきて、今それを爆発させたかのような勢いで、大樹がリファの前に現れた。
 先ほどまでなにに遮られることもなく見えていた青空が、今は大きく広がった枝とそれに茂った葉で見ることができない。葉の隙間から差し込む陽光が、美しく祭壇の石碑を照らし出していた。
「……わぁ」
 リファの口から、感嘆の声が漏れた。
 見ると、石碑の周囲にはたくさんの植物が生い茂っていた。いろんな形の枝や葉、様々な高低差のある木々。そして咲き誇る花々――。
 どれも深く美しい緑が誇り、この地が先ほどまで枯れていたものとはリファですら信じられない。
「ピーッ」
 見ると、クロマユはリファから離れ祭壇にごろごろっと転がった。そんなクロマユを、木陰から差し込んだ光が暖かく、やわらかく包んでいる。
(クロマユ、喜んでる)
 目や口がなくとも、今クロマユが心から喜び、くつろいでいるのがわかる。リファが穏やかな気持ちでクロマユを見つめていると、クロマユの姿が大きな大きな狼の姿に変わった。まるで発光しているような、純白の美しい毛がふわふわと風になびいている。その体躯はハンスたちの何倍もあり、ただの狼ではないことがわかる。体毛と同じく白く美しいまつ毛から覗く瞳は、吸い込まれそうなほど透明な緑である。
 その狼は、美しい鼻筋をふいっと空に向け、気持ちよさそうに風を感じていた。
(――えっ?)
 バチッ。
 リファが瞬きをしたときにはもう、美しい狼の姿はいつものクロマユに戻っていた。
「あれ?」
 リファは何度か目をこすってみた。そして改めてクロマユを見るが、やはりそこにはいつもの黒い毛玉のクロマユしかいない。
 先ほどの、一瞬の幻影のような白く美しい狼の姿は、跡形もなかった。
(今の、もしかしてオオガミ様――?)
 もしかしたら、クロマユに力が戻りつつあるのかもしれない。リファは驚きと興奮で、ドキドキと騒がしい胸にそっと手を置いた。

「リファさん」
 リファが戸惑って石碑を見つめていると、アルバがどんっと飛びついてきた。小さなリファを、一九〇センチ近い大男が抱き上げて頬ずりする。
「素晴らしいです! あなたは我々の救世主だ!」
 喜んでくれてよかった。けれどアルバは感動のあまり力加減を忘れている。苦しい。
 思ったより筋肉質な腕が、華奢なリファの体をミシミシと締めつける。
「あっ、アルバ、くるし──」
 愛が痛い。
「アルバ、やめてください」
 リファにとっての救世主はアンガッサである。アンガッサはリファからアルバを引き離すと、リファの頭をそっとなでた。くしゃっとなった前髪が顔にかかり、リファは片目を閉じた状態でアンガッサを見上げる。
「よくやってくれた」
 普段は厳しく、いかつい男の穏やかな微笑がリファに向けられた。苦労してきた目もとの皺が、目を細めることで強調され、なんと色っぽいことか。
「ど、どういたしまして……」
 思わず、リファは頬を赤くした。
「なんですかその反応! 私のほうが美しいでしょ! 喜んでください!」
「アルバうるしゃい」
 リファの腕にすがってぎゃあぎゃあ騒ぐアルバに、リファはぴしゃんと言い捨てた。

 その日の城はお祭り騒ぎになった。
 なんとリファが茂らせた緑は、オオガミの庭だけでなく城中の庭を覆いつくしてしまったからだ。木陰のなかった庭に美しい雪柳とケヤキが現れ、噴水の間には深緑の蔦がからまり、むき出しの土だった場所に、芝生が現われた。
 美しくもどこか暗く重苦しい雰囲気の漆黒の城が、一気ににぎやかになった。
 突如現れたたくさんの緑に、人々は沸きに沸いて、その日は皆仕事を放って宴が行われた。
「リファ様!」
 さすがのリファも疲労感を感じ、アンガッサに連れられて部屋へと戻っていると、アイとイフが走って飛び込んできた。
 ふたりはリファの身長に合わせて回廊に膝をついて抱き着いている。
 リファ様……! お城が緑でいっぱいになってる!」
「ありがとうございます、私たちの願いが叶いました……」
 ふたりとも、涙を浮かべて喜んでいる。アルバに頼まれて、まあできるかな、という軽い気持ちでやってみた緑の魔法を、まさかここまで喜んでもらえるとは。
「ふたりとも、うれしい気持ちはわかるが、リファ殿は今疲れていらっしゃる。部屋へとご案内しなさい」
 アンガッサも、いつもより優しい口調でふたりにそう諭した。
 この黒い城が緑にあふれることは実に百年ぶり――リファが考えるよりずっと、オオガミを心から進行してきた人々は、それを待ち望んでいたのかもしれない。

「すごいんですよ。城中の地面だった場所に、あふれんばかりの緑が生えてきて!」
「葉っぱって、たくさんあるとあんなふうにカサカサ音が鳴るんですね!」
 リファがベッドで横になると、アイとイフははそんなおしゃべりを始めながらお茶やお菓子を用意してくれた。ちなみにクロマユは祭壇で気持ちよさそうにごろごろしていたので、そのまま置いてきた。
「リファ様が以前作ってくださったホットケーキを作ってみました。おいしくできたかわからないのですけれど」
「何度も焦がしてしまって、大変だったんですよ」
 そう言って恥ずかしそうに出されたツヤツヤのパンケーキが、今のリファには世界一おいしく感じた。
「ジニアス様にも食べていただきたかったけれど、なんだかお忙しそうで」
「オリエイエの使者の方たちがいらっしゃってたでしょう? 面識はないと言っていらっしゃったけど、やはり同郷でお話が合うのかもですよ。たまにご一緒にいらっしゃるみたいです」
 メイドの情報網は正確である。
「そうなんだ……」
 リファの胸はもやもやしていた。
 出会ってから、可能なときは必ずリファを助けてくれたジニアスが、今はオリエイエの人々のことで頭がいっぱいらしい。
(あのとき、助けてって言ったのになあ)
 リファの言うあのときとは、リファが〝緑の指〟を使ってオオガミの祭壇の庭に大樹をはやしたときのことだ。思わずジニアスに助けを求めたが、彼はきてくれなかった。
 わがままなことを言っている自覚はある。けれどジニアスは、出会ってから今まで事あるごとにリファを助けてくれた人だ。頼りきっていた自覚はある。
 そんなジニアスが遠くなってしまったように感じて、リファはそのもやもやをのみ込むように、世界一おいしいパンケーキを飲み込んだ。

「――復活も間近だな」
 アルダンのひと言に、アルバはゆっくりと微笑んだ。
 城中が宴会場と化した今、初めにリファを晩餐に招いた黒い間で、ふたりは多くの城の者たちに囲まれて酒をくみ交わしていた。
 最近は、ふたりだけでこうして飲むこともめっきり減ってしまった。遠くでは双子の王子たちが楽しそうに笑っている。手にはたくさんの花をかかえ、同じ年頃の貴族や大臣の子供たちと談笑していた。その姿が愛らしく、アルバは小さく笑う。
「まだわかりませんよ。あの魔法は、たしかにオオガミ様の力に似ていますが、リファさんのものかもしれません」
 アルバは、自分が神官として、アルダンが王として即位して以来、彼と話すときは言葉を崩すことはない。
「馬鹿なことを。あのような人智を超越した力、クロマユ様が娘に渡したに決まっている」
 アルバの言葉を、アルダンは鼻で笑った。
「そうでしょうか。彼女は本当に、魔法使いかもしれませんよ」
 アルバは美しい面を伏せて、満たされたような顔で笑った。
 心から感動しているその気持ちを、噛みしめるように。
「見てください、アルダン」
 そう言って、アルバは穏やかな顔で周囲を見渡した。皆が笑顔だった。飲くみ交わし、話題は突如現れた緑の大群のことである。庭という庭に緑があふれたとか、大臣が根気よく育てていた花が枯れずに花をつけたとか、生い茂った草むらから食べれそうな実を発見したなど。
 どれも単純で、たいしたことのない話だが、それでも皆、心の底からうれしそうである。
「こんなに皆を笑顔にすることができる――彼女は間違いなく、魔法使いでしょう」
「……うれしいか」
 アルダンの低い問いに、アルバはためらうことなく満面の笑顔みを浮かべた。
「もちろんです。お慕いするオオガミ様の喜びが、伝わってくるようですから」
 健やかな笑顔のアルバに対して、アルダンの瞳がほの暗く濁った。
 そのことに、この場の誰も気づくことはなかった。

「そろそろ頃合いだな」
 宴の後。アルダンは城の誰も知らない私室で、ゆっくりと紙煙草をくゆらせていた。
 部屋に充満する乾燥させた草の匂いは、アルダンが物心ついた頃からかかえている頭痛を軽くしてくれる。
「このまま放置していれば、いよいよあの娘がオオガミ様の復活に近づいてしまう。それではだめだ。娘を使い、私の手でオオガミ様を復活させなくては」
 アルダンから滲(にじ)み出る疲労感が、くゆる煙に溶けてきえた。
「……実行いたしますか」
 いつものように、暗闇から私兵が静かに尋ねてきた。
「あの娘を捕え、オオガミ様の祭壇に捧げる」
「かしこまりました」
「それと」
 アルダンは紙煙草の火を消すと、窓の外を見た。外には、昨日まではなかった美しくも逞しい木々が風に葉を揺らしている。
「城の植物を燃やせ」
 冷徹な声だった。温かみのあるもののいっさいを断ち切るような、刃物のような声。
「……よろしいのですか」
 私兵は、一度だけ確認した。
「いい。やれ」
 アルダンは迷わなかった。
「御意」
 私兵をそろえるとき、アルダンはあえて他国の人間を選んだ。
 だからこそ、城の一大事にも無関心なのだ。緑が増えたからなんだと、本気でそう思っている。植物など腐るし虫も湧くし、燃やしてもいいくらいだと思っているような人間だった。だからためらいなく、城を包んだ緑を焼くだろう。
「――緑深き、美しきアルフレート」
 アルダンは消え入るような声で、そう小さくつぶやいた。