世界でいちばん 不本意な「好き」




昨日の懐かしむような瞳は、

気のせいじゃなかったんだ。



「はじめて聴いたときから、あのひとのピアノの音が好きなの」


寧音は根っからのピアニストだ。

それはわたしとはちがって、幼いころから変わっていなくて。


たったひとつの音で世界の見えかたがひっくり返ることを知っている。



「…ショーマ、ごめんね。まさかもう一度会えるとは思わなくて、思わず……ごめん」

「え、いや……え、ふみとのピアノってそんなにいいの?」


どうしてかわたしのほうを見て尋ねてくる。


わたしは直接聴いたことがない。聴く理由も、機会も、必要もない。

それでも、たった一度。
あっこから見せられた映像。



さっきまでアイドルたちが歌って踊っていたきらびやかな装飾が施されていたはずのステージ。

その電飾がすべて消えて、代わりに一筋のスポットライトが中心を照らした。


白いピアノ。黒いタキシードを着た背の高い人物は、背景に染まって、鍵盤に置かれた手元だけが綺麗に光のなかへ浮かび上がって───…… ひとつ、またひとつと、音を零していく。


少しずつテンポが上がり、音が連なり、指の動きは目で追うのもままならなくなるほど速く動き、一曲を作っていった。


透き通るような音を出したかと思えば、油絵具のように重たい音を響かせる。

跳ねたかと思えば、這いずり回るような表現もする。


目も耳も、五感すべてが画面の向こうのピアノの音に奪われた、あのときの感覚が蘇ってくる。


いいの?なんてものじゃない。

耳を塞ぎたくなるほど。涙を我慢したほど。上手い、なんて表現さえ相応しくないような、そんな音を思い出して、その問いかけにただ首を縦に振っていた。



“ 久野ふみととは、関わっちゃいけない。”


隣の席になっても、話すようになっても、お弁当のおかずを分け合っても、仲直りしても、頭のなかでは警告音が鳴ってる。