最愛の妻が死んだ。
 俺と、たった一人の娘を残して。

 今までの人生で唯一、恋愛感情が芽生えた女であり、昔お世話になった恩人の一人娘――それが、妻の(みどり)だった。

 彼女とは小学校からの幼馴染だったが、昔から病弱で医者にも「30歳まで生きられたらラッキーだろう」と言われるレベル。ほとんど外には出られず、肌は雪のように真っ白だった。子供好きで花にも動物にも優しく、常に穏やかな性格で時々抜けているところもあり……心の底から愛していた。


(翠……)


 不意に、ちょいちょいと服のはしを引っ張られる。そちらに目をやると、小さな手で服の袖を握りしめ、俺を見上げる(ゆう)と目が合った。


「どうした? トイレか?」
「ねえ、ぱぱ……? まま、ねんねするの?」


 当たり前だが、まだ5歳の優には何が起こっているのか理解できていない様子で、俺を映す大きな瞳は不安そうに揺れている。そんな優をそっと抱き上げ、翠の眠る棺桶を見せた。


「優……ママとは、しばらくお別れだ。でも『さよなら』じゃない、また会える。だから……『また会おうね』って、ママに言ってくれるか? そうすれば、ママは安心して寝られる」
「うん……まま、またあおうね。おやすみなさい」


 言い終えると同時に優を強く抱きしめると苦しそうな声を出し控えめに抵抗されたため、少し力を緩めてやる。すると、優は「ぱぱ、」と何か言いたげな顔で俺を見た。


「今度はどうした? 腹でも減ったか?」
「ううん。あのね、ぱぱ。ゆうね、いいこだからなかないよ。えらい?」


 そう言って、目尻に涙を溜めたままぎこちなく笑う優。


「……ああ、偉い。きっと、ママもパパと同じことを思ってる」
「えへへ、よかった」


 俺は……これから先何があろうとも、この子を必ず護ってみせると改めて誓った。