リリンの襲撃から数日後の夜、レイラはラディスと共に城を密かに出発し、ロ・メディ聖教会へと向かっていた。

 レイラを殺そうとしたことや、とらわれていたときのシスの反応を見る限り、彼はレイラを元の世界に戻すことを考えていなかったのだと思う。

 元に戻るための法術をシスに調べてもらうにせよ、試すにせよ、レイラが瘴気をすべて浄化し終わるまでに、話をつけておいた方がいい。

 聖ロンバヌス教国にあるロ・メディ聖教会に到着したラディスは、レイラを連れたまま、難なく武装神官の目をかいくぐって、建物内に侵入した。

 認識阻害の魔術を使ったらしい。

 さらには迷うことなく一直線に教会の最深部に向かっている。

 シスの居場所がわかるのか不思議に思って魔術を使ったのか聞いてみたのだが、相手の身分さえわかっていれば、建物の構造と配置された護衛の配置はどこも似通っているので、大体の居場所はわかるということだった。

 古今東西、権力者は建物の最深部の護衛に守られ、お金のかけられた調度品に囲まれた部屋にいるらしい。

 魔術にせよ知識にせよ、やることなすことラディスは何でもありだった。

「はぁ……すごいね!」

 レイラは最近、ラディスのことを、この一言で納得するようにしている。


 ほどなくして、レイラたちはシスの部屋に到着した。

 なぜ個別の部屋までわかったかというと、建物内であっても人間の体温と姿をある程度感知できるらしい。

 いや、本当に何でもありだな。

 もう、突っ込みを入れるのもしんどくなってきたので、考えることを放棄する。

 気を取り直してから、レイラはラディスと共に、鍵のかかっていない扉からするりと中に侵入した。

 突然現れたレイラとラディスに、机で本を読んでいたシスは目を大きく見開いて私たちを見た。

「お前たちっ!」

 レイラが口に人差し指をあてて、静かにするように伝えると、シスは叫びはしなかったが警戒して距離を取った。

「どうやって入ったんですか?」

「認識阻害だ」

 それだけではないのだが、ラディスはそれ以上説明する気はないようだった。

「返事をくれないから、来ちゃったの」

「来ちゃったって……私は国の中枢部から、権限を激しく制限されています」

「かっこ悪くて、返信できなかったと……」

「違います! 気軽に手紙のやり取りなどしたら、すぐに目をつけられてしまいます」

 呆れて天を仰ぐシスを見て、レイラはシスを困らせたことに気をよくした。

 少しくらいやり返しても文句はあるまい。

「交渉をしようと思って」

「交渉? 悪魔の話には耳を傾けません」

「ラディスは魔族で、私は人間だけど」

「ふざけてるんですか? そういう話をしているんではありません。全く」

 これ以上シスの機嫌を損ねる前に、話を切り出した方がよさそうだ。

「大地の浄化が、終わりに近づいているんだって」

「……報告は受けています」

「それで、大地を浄化した聖女の手柄を、すべてあなたに渡すって言ったらどうする?」

 シスはやや驚いた後、警戒心をにじませる。

「何を考えているのです?」

「指定された湖か何かに、私が癒しの力を宿すのよ」

「……以前の池のようにですか?」

 レイラはうなずいた。

「その水を使って、他のも全部マヤちゃんが浄化したことにして、あなたの手柄にして、召喚も浄化も成功したことにすればいいの。浄化した場所も詳しく教えておくから」

「確かに国の中枢部から状況報告の催促はされていますけども、あなたが私に協力してあなたたちに何のメリットがあるというのです?」

「私を元の世界に戻して欲しいの」

 シスが首を振る。

「せっかくの提案ですが……戻し方はわかりません」

「大丈夫よ……あなたたちが500年前に聖女として呼び出して魔女にした人からできるって聞いたから」

 シスがぴくりと反応する。

「教えてくれたの。聖女の召喚主は空間と空間をつなげる法術を得意とするって。私が元居た世界とこの世界をつないで送ることも可能だって」

「そうですね、座標を把握しているので確かに不可能とは言い切れませんね……わかりました。取引に応じましょう。私も後がありませんから」

「あらま、素直」

「……あなたは一言多いです。ともかく! 保証はできませんが調べておきます」

「もういいだろう」

 ラディスが後ろから、レイラの肩に手を置いた。

 何かわからないが、無言の圧力を感じる気がする。

「あ、あとマヤちゃんは? 帰りたいとか何か言っていた?」

「……わかりませんが、最近は資料室にこもって、何かを調べているようです。すでに聖女の力はないのだと周りに気づかれ始めているので、あるいは……」

「それなら、彼女にも戻りたいか聞いてあげといて」

 レイラはふっと笑った。これは伝えると逆効果になるかもしれないと思ったのだ。

「あなたお人好しすぎるのでは?」

 シスが心配そうに言う。

「初めてまともなことを言ったな」

「私もそう思うけど、仕方ないよ。まだ若い子だし」

 レイラは苦笑いをしながら言う。

「私からも教会が調べた瘴気に関する捜査報告を渡します。これを」

 シスは机の引き出しの中から、金色に光る小石を取り出してレイラに渡した。

「通信ができます。今後はこれで連絡を取り合いましょう」

 レイラはシスの手をぎゅっとにぎって、笑った。

「よし、私を殺そうとしたことは水に流すからね。残りの瘴気を協力して浄化してしまおう!」

「あ……えぇよろしくお願いします」

 驚いたのか、シスが顔をわずかに赤くする。

 こういう顔もできるのかとレイラが見ていると、レイラとシスの握手の上からラディスの手が降ってくる。

 シスとレイラの手を離すと、ラディスはレイラの後ろから腰をつかんで抱きかかえる。

 レイラの体が宙に浮く。

「えっ、ちょっと!」

「長居しすぎだ。帰るぞ」

 ラディスはくるっとレイラをいつものお姫様抱っこにすると、窓に向かって歩き出した。

「待ちなさい。……魔王、あなた、彼女を返すんでしょうね」

 レイラから姿は見えなかったが、呆れたようなシスの声がラディスの背中の向こうから聞こえてくる。

「……約束だからな」

 ラディスはレイラを抱えたまま、窓からひらりと飛び降りた。

 その日から、ラディスとシスの協力の元、レイラは数日をかけて大きな湖に癒しの力を注ぎ、浄化の力を与えることに成功した。

 大陸の瘴気も濃くたまった場所はほとんど浄化し終わり、後は、小さな瘴気を浄化して回っていたが、小さなものは放っておいてもほとんど影響はないとのことで、この辺りが潮時かと思っていて矢先だった。

 シスからの連絡で、元の世界に戻すことが可能になったと連絡を受けた。

 レイラが元の世界に戻る日は、目前に迫っていた。