ラディスの寝室につながる私室に、夕食は用意されていた。

 湯殿から運ばれてきたレイラは、ラディスの膝に乗せられたままソファに座ってから、我に返った。

 湯殿からラディスの私室に運ばれるというのは、かなり注目を集めるらしく、すれ違う使用人からは穴が開くほど凝視されていた。

 さすがのレイラも恥ずかしかったので、途中で思考停止して考えることを放棄していたのだった。

 ペットや愛人という声が聞こえてきていたので、やはり周囲からはラディスが人間という愛玩動物を飼っているように見えているようだ。

 色々思い悩んでいたが、食事のいい匂いがすると、自分が思った以上にお腹がすいていたことに気づく。

 前菜、サラダ、スープ、メインの肉料理に魚料理、パン、デザートなど、おそらくフルコースの料理がすでにテーブルに並べられていた。

「素材も料理人も一流の、人間の食事だ」

 どこか自慢げなラディスだが、レイラには彼が、おいしいおエサを用意した飼い主に見えた。

 魔族は食事を必要としない。それなのにラディスは正しく料理のコースの順番を守って、レイラに食べさせようとする。

「いつもありがとう」

 レイラがお礼を言うと、ラディスは満足そうにうなずいてフォークを持って、前菜をレイラに食べさせようとする。

 レイラは首を振った。

「サラダから食べたい」

 食物繊維を先に食べれば栄養が吸収されにくくなって、太りにくいということを知ってから、かたくなに野菜を先に食べていたレイラは、ついラディスに要望を伝えてしまう。

 30代を過ぎてから、途端に太っても痩せにくくなる。

 代謝が落ちるとか色々といわれているが、確かなことは、太ったら終わりということだ。

 魔族の考えていることはわからないので、機嫌を損ねてしまったらどうしようか悩んだが、ラディスは小さくうなずいただけで、レイラの希望通りサラダをフォークにさして、レイラの口に運んでくれた。

 その後は、レイラが食べる様子をじっと見ている。

「お、おいしいよ。ありがとう」

「ん、一流だからな」

 レイラがぎこちなくお礼を言うと、満足げにうなずいた。

 なんだか楽しそうである。

 ラディスがレイラに食事を食べさせるのは、ペットのエサやりと大差ないとわかっているが恥ずかしいものは恥ずかしい。

 ただ抵抗しても無駄だとわかっているので、今はあきらめている。

 いや、おかしいんだけど。

 レイラ開き直って、ラディスの手をつつく。

「次は魚がいい。身の真ん中のところ」

「ケガをしたから、肉にしろ」

 先ほどはレイラのいうことを聞いてくれたのに、今度は問答無用で肉を口に突っ込まれた。

 文句を言おうとしたが、口の中に肉があるとふがふがという間抜けな声しか出なかった。

 行儀が悪いので、レイラは肉を先に飲み込む。

「もう大丈夫だと思うけど」

「一度、怪我をした場所は、修復しても完全に元には戻っていない」

 確かに、骨折をしたらつながった場所は盛り上がるし、アキレス腱を切ったら治っても腱が太くなるらしい。

「ラディスって人間の体に詳しいんだね」

 人間と比べるととんでもない性能を持っている魔族も、同じ身体構造をしているのだろうか。

「基本的にご飯食べないのに、人間の料理の順番も知ってるし」

「…………そうだな。勉強した」

 レイラは目を動かすだけで、ラディスの端正な横顔を盗み見た。

 確かに人間の生態を調べているのは知っているが、今の間は何だろう。

 気にはなったが、追及するわけにもいかず、結局、食事を終え、デザートのケーキを食べているタイミングで、レイラは今日の森での出来事を話すことにした。

「今日の怪我なんだけど……リリンに殺されそうになっちゃって。私が自分で何とかできると思って、黙って離れたのが悪かったんだけど」

 歯切れの悪いレイラに対し、ラディスは顔色一つ変えずにきっぱり言った。

「だろうな。転んだのに、背中が擦り傷でボロボロだった」

 気づかれていた!

 レイラは咄嗟に背中に手を回す。

 そういえば、リリンに木の幹に押し付けられて、傷だらけになっていたのだった。

 服は着替えて傷はラディスが治してくれたが、すっかり失念していた。

 間抜けな格好のレイラを見て、ラディスがふっとあきれたように鼻を鳴らす。

「素直に吐かせるには、どうすればいいか迷っていたところだ」

 続く言葉にぞっとしてしまい、レイラはラディスから目をそらした。

「警戒を緩めるな。あいつは今まで俺に近づく女を全員、始末してる」

 ぽかんと口を開けたレイラは、もう少しで口の中に入れられたケーキを落とすところだった。

 今、とんでもなく物騒なことを聞いた気がする。

「わ、わかった。気を付ける」

 いわれなくても怖くて近づけないが。素直にうなずく。

 最後の一切れをレイラの口の中に放り込むと、ラディスはレイラを寝室に連れて行った。

「今日もするの? 森で悩んでたもんね。決まった?」

 ベッドにおろしてもらってから、レイラはベッドサイドおかれたアロマオイルに手を伸ばした。

 レモンバーベナというアロマオイルはレモンと同じ成分が含まれているので、香りはレモンに甘さを加えたような香りで、鎮静効果も高く、魔獣との戦闘があった日には最適だろう。

「今日はコレで」

 レイラが振り返ると同時に、ラディスに足首をつかまれて引っ張られる。

「わっ!」

 視界が反転して、仰向けにひっくり返ってしまう。

 スカートがめくれ上がりそうになり、両手でおさえたまま抗議の声を上げようとしたレイラの顔を、ラディスがレイラの足首を持ったままのぞきこんでいる。

「今日は私がしてやろう」

 レイラは硬直していたが、勢いよく首を振った。

「い、いい、いらない! 離して!」

「足を怪我したのなら、血行を良くした方がいい」

 レイラの声を無視して、ラディスは精油とマッサージ用のオイルのビンを手に取り、レイラの足首に直接たらした。

「あっ! もう、もったいない」

 レイラの足首を両手で包むようにして、オイルを広げていく。

「どうすればいい? 早くしないと、オイルが無駄になってしまうぞ」

 レイラは恨めし気にラディスをにらみつけてから、ため息を漏らした。

 ここまで来たら、気が済むまで付き合うしかない。

「その、まずはつま先から足の付け根に向かってなじませるように、さすって……ふくらはぎは少し手で圧をかける感じで」

 レイラの言葉通り、ラディスは手を動かし始めた。

 足をラディスの男性らしい大きな手が這っていく。

「わっ……!」

 レイラは思わず自分の口を両手で塞いだ。

「どうした?」

 レイラは首を振る。

「なん、でもない」

 その後も、ラディスの手がレイラのふくらはぎを往復するたびに、びくりと体が痙攣しそうになるのを、懸命にこらえる。

 こ、これは、気持ちよすぎる。

 実はレイラはするばかりで、ほとんど他人にマッサージなどをしてもらったことがなかった。

 本職であれば人にしてもらうことで自分の技術を磨くこともあっただろうが……。

 それにラディスの力加減が絶妙だった。

 おそらく女性と違って、男性の方が力があるので、ムリなく絶妙な強めの圧をかけられるのだろう。

 そうでなければ説明がつかない気持ちよさだった。

「足の付け根までだな」

 ラディスの手が太ももから、足の付け根に向けてマッサージを始めたので、レイラは我に返ってスカートの中に手を入れようとしたラディスの手を止めた。

 これ以上はまずい。

 マッサージをする方も、される方も、基本的に同性だ。

 異性にしてもらうのは、特に意図していなかったとしても気まずすぎる。

「も、もう大丈夫!」

 レイラは涙目になりながら、ラディスの両手を取ってお礼を言うと、慌てて自分もアロマオイルを手に取った。

「まだ終わってない」

 ラディスの肩を押して強引にベッドに押し付けると、ラディスの足元に移動する。

 今度はレイラがラディスを見下ろす格好になった。

「今度は私がする! 私の方が絶対気持ちよくできるから!」

 半ば混乱気味に叫んだレイラは、オイルを手に出して、ラディスへのマッサージを開始した。