ただ、私は「生きろ」と言うことが悪いと言っているのではなく、相手の状況なども考えた上で、そういったアドバイスをして欲しいな、と思ったまでです。

「生きろ」は「死んでしまえ」と同じように考える人もいますから。

それが、Aだったんです。


私は自分の悩みや不安を、Aの悩みを聞いてあげることで何とか紛らわし、自分はこれくらいでは負けていられない、と、できる限りポジティブになろうとしました。

Aを利用したんです。私は。

もちろん、利用なんてするつもりは毛頭なかった。しかし、結果的に見て考えると、さしずめ利用しているのです。

まあこの話は置いておきましょう。またいつか、お話するかと思いますので。


Aの悩みを聞き、アドバイスするにつれ、段々と私たちの絆は深まってゆきました。

所詮ネットで知り合った関係ではあったものの、本名や、今住んでいる県や市町村まで教えられるほどには、気を許せていました。

Aがそう思っていたかどうかは不明のままですが、少なくとも私は、数少ない、いや、もしかしたら初めて出来た、気を許せる親友、でした。

相棒といっても過言ではないかも。


そこでまた、とあるアプリに話が戻ります。
アプリではお互いを相方と呼び、共依存状態となっていました。

共依存は、一緒に堕落してしまうから、という私の勝手な思考により、良くないなあ、なんて思いつつもなんだかこの心地の良い関係を壊したくなくて、ずっと、だらだらと関係は続きます。

Aと話している時は落ち着いて、幸せで。寝ることが一番の幸せだったはずの私でも、人と話すことで幸せを得られる、という人によっては当たり前のことを、ようやく取り戻せたのです。

Aには感謝しています。今はもう、あまり連絡を取れず、私が一方的に送っているだけですが…。(笑)


でも、なんとなく、幸せだったなあ、一番楽しかったなあ、なんていう過去だったかもしれません。