次の日、気晴らしに通話でもしようと、友人とまた通話をしていました。
懲りないやつですね。

通話もなんだか楽しくなくて、その日は友人に謝罪だけ入れて素早く切りました。

朝がやって来ると、途端に息苦しくなって、なんだか無性に悲しくなるんです。

どうにも言い表せない気持ちが、まず私を襲います。そのせいで、まず思考がネガティブになっていって、起きられなくなります。

「どうせ私が休んでも、誰も心配しないし」
「私がいてもいなくても、変わらないから」

と、自己肯定感が非常に低くなりました。

元々自意識過剰ではありませんでしたが、この時がピークだったかも。(笑)


再び母の怒号が耳を貫いて、叩き起こされる毎日です。暫くこれが続きます。


今から話す内容は、先程よりも前のお話になるのですが、私は少し前にとあるアプリを入れて、とある人(以下Aとお呼びします。)と会話をしていました。

友人というのも、Aさんもその中に入っていました。

彼女とはとても仲良くなり、数少ない自分の本音を打ち明けられる存在になって行ったのです。

そのアプリでは相方と呼べるほど仲良くなり、持ちつ持たれつの関係になっていました。

Aもまた、精神疾患持ちでした。


Aは私よりも内容が酷く、リスカやアムカなどと言った、自傷行為も激しい人でした。

私はそんなAを、最初こそ止めようとしたものの、考え止めました。


「私、もしかしたらAに酷いことをしているのかもしれない」


あくまで偏見のうちに入りますが、
自殺志願者というのは、現実社会に嫌気をさして、この世界に終わりを告げたいと思って自殺をしようとするのでしょう。
例外もいるのでしょうが、大抵はそれだと、私は考えています。

それなのに、生きろ、というのは、社会に揉まれて息絶えろ、と言っているようなものでは?と、思ったのです。

私だって、死にたいと思ったことがあったから。だからこそそう考えられることが出来たのではないかな、と思います。