大地を照らす光が姿を消し、おぼろげな星々が人々の眠りを呼び覚ます。
 闇に包まれたエルヴァスティ王国の中枢、都の大広場には既に大勢の者が集まっていた。ともすれば真夜中にも思える街中で、彼らはいそいそと露店の準備を進める。屋内に灯した明かりだけを頼りに、時折楽しげな笑い声を上げて作業に勤しむ。
 やがて皆が手を止める頃、広場に鎮座する巨大な薪の前にぞろぞろと白装束の集団が現れた。
 先導するは銀色の仮面をかぶった乙女。手にした錫杖は彼女の身長を優に超え、石畳を打つたびに軽やかな音を立てる。
 するとその玉音に誘われて、あちらこちらから光が発生しては乙女の周りを漂う。
 ゆっくりと錫杖を鳴らし続けた乙女は、残響が完全に消えるのを待ち、杖の先端を静かに薪へ翳した。

「──凪に燃ゆる裁きの紅炎よ。我が導きの下に、闇夜を照らす篝火となれ」

 りん、と錫杖が鳴り響いた直後。
 乙女の周りを漂うばかりだった精霊が急激に螺旋を描き、組まれた薪に吸い込まれていく。次の瞬間には盛大に炎が燃え盛り、巨大な篝火によって街中が煌々と輝いた。
 光炎が空高く伸びる様を見届け、乙女が踵を返す。
 賢者の退場と時を同じくして、それまで不気味なほど静かだった人々が一斉に歓声を上げては祭りの始まりを祝った。彼らは篝火から松明の火を貰うと、自分の家や小路に飾られた燭台にそれを分けていく。
 人の手によって広がっていく灯火は、やがて都全体へと行き渡った。
 エルヴァスティの精霊たちに極夜の訪れを知らせるべく、ゆらゆら、きらきらと輝きを変えて。

「うわぁ……ここから見たの初めてかも」

 光華の塔、中央塔にて。リアは三階のテラスから、宝石箱のように煌めく城下町を眺め下ろす。
 本当はイネスの晴れ姿を間近で見たかったが致し方ない。篝火に炎が灯る瞬間は遠目でも分かったので、それで良しとしよう。

「オーレリア! 生姜茶飲む?」
「飲む!」

 振り返ると、そこには体調不良やら何やらで祭りに参加できなかった精霊術師たちが、テーブルに菓子を広げて手招きをしていた。
 彼らはリアが一人で光華の塔で留守番することを知って、わざわざここまで来てくれたのだ。まさかの気遣いに、嬉しくて思わず一人一人に抱擁して感謝してしまったリアである。

「それじゃあ、留守番組も乾杯!」
「かんぱーい」

 受け取った温かい生姜茶はアイヤラ祭では定番のもので、飲むと喉にぴりぴりとした辛味が走る。体の内側が温まっていくのを感じていると、リアよりもいくつか年下の少女が「あーあ」と肩を落とした。

「お祭り行きたかったなぁ。あたし今日、彼とデートの約束してたのに」
「当日に風邪引いてここで生姜茶飲んでるの面白過ぎるわね」
「ちょっと! 酷いわファンニ! 恋人いないからって僻み!?」
「いやいや哀れんでるのよこれでも」

 鼻声でぷりぷりと怒る少女に皆が一頻り笑った後、この場で年長のファンニがからかうような眼差しをリアに寄越す。

「オーレリアは? あの伯爵様と回りたかったんじゃないの?」
「ん、エドウィンのこと?」

 リアは焼き菓子をかじりながら、賑やかな城下町を見遣った。
 エドウィンは皇太子と共に、賓客として開会式に出席している。この前、星見の間で話したときにアイヤラ祭の見所については力説しておいたので、楽しんでくれると良いのだが。

「まぁ、そりゃ一緒に回りたかったけど……」
「んんッ、ねえオーレリア、ずっと聞きたかったんだけど伯爵様ってあなたのこと追いかけてきたわけ? 修行であんな良い男が釣れるなら私も行きたい!」
「カティヤ、あんた恋人いるんでしょうが」
「やっぱり顔って大事だと思っただけよ!」

 ファンニの冷静な言葉に耳を貸すことなく、カティヤは鼻づまりに苦しみながらも生姜茶を啜っている。早く部屋に帰した方が良いのではと思いながらも、リアは肩を揺らして笑った。

「大公国で別れるときにエドウィンが言ったのよ、落ち着いたらエルヴァスティに行くって。だから別に追いかけてきたってわけじゃ」
「はーやだやだ、聞いたファンニ? 何か月も楽しそうに文通しといてまだ友達感覚よ、この人」
「仕方ないわ。ヨアキム様のガードが異常に固いの知ってるでしょ」

 急に飛び火を食らったヨアキムがどこかでくしゃみをしているとは露知らず、カティヤとファンニは井戸端会議中の貴婦人よろしく頭を振る。
 その傍ら、黙々とお菓子を食べ続けていた小柄な少年がリアの袖を引っ張る。何かと思い見てみれば、城下町から賑やかな音が聞こえ始めていた。

「あ、演劇が始まったのね! リュリュ、おいで」

 外套が体に合っていないおかげで雪だるまのようになっているリュリュを抱き上げ、テラスの手摺に座らせてやる。
 ひたすらに無口な少年だが、跳ねる両脚を見る限り、祭りの様子を見下ろせて満足しているようだ。

「そういえばリュリュも風邪引いたの?」
「違うよ。その子も謹慎」
「えっ何だぁ仲間じゃん! ──ご、ごめんリュリュ、そんな嫌そうな目で見ないで」

 大きな猫目にじとりと見上げられてしまい、リアは苦笑いを浮かべて謝った。精霊術を学び始めて間もない幼い少年と、既に十年以上見習いの自分を一緒にしては気分も悪いだろう。
 リアはご機嫌窺いとして、少年に生姜茶のおかわりと焼き菓子を献上したのだった。