大公家の人間で呪いに掛かった者は、人知れず行方を消してしまう。
 それが表向きは病による急死として扱われ、本来なら大々的に公表されるべきところを、大公家は意図的に情報を制限したという。
 エドウィンは自らがその対象となった今、彼らが一様にして姿を消した理由がぼんやりと分かると述べた。

「獣の姿に変化すると、見知った人間の顔さえ識別できなくなるのです。自分が人間であることも、時折忘れてしまう」
「……!」
「呪われた者たちは、自我が掻き消される前に家族から離れたのでしょう。……親しい誰かを手に掛ける前に」

 絡めた両の指を擦り合わせ、エドウィンは少しだけ気落ちした様子で俯く。毅然とした口調ながら、彼が心の奥底で怯えていることなど一目瞭然だった。
 リアは何と声を掛ければよいのか分からず、意味もなく両手を彷徨わせた後、恐る恐るエドウィンの腕を摩る。

「治療できた例はないの? 一人も……?」

 答えは否。瞑目してかぶりを振ったエドウィンは、民家の隙間から覗く茜空を仰ぎ見た。

「このまま対処法が見付からなければ、僕も爵位を返上して、大公家と縁を切るつもりです。万が一、呪いの存在を教会に知られてしまえば、大公家は……」

 最後は剣呑な音を乗せながらも、彼がその先を言うことはなく。
 夕暮れ時の涼やかな風が、重苦しい沈黙の中をすり抜けていく。ほつれた三つ編みから細い毛先が揺れる様を、所在なく見詰めていたリアは──やがて大きく息を吐いた。

「事情は分かったわ。でも、エルヴァスティの精霊術師自体に呪いを解く力はないの。そもそも呪いって何、って感じだし……」
「そうですか……」
「ああ待って、落ち込まないで! 私に力がないって話であって、精霊にはあるかもしれないでしょ?」

 エドウィンの頬を持ち上げ、ぐいと引き寄せる。呆けた菫色の瞳を真っ直ぐ見返したリアは、安心させるように笑顔を浮かべた。

「まずは情報収集から始めなきゃね」
「……協力、していただけるのですか」

 まるで初めから諦めていたかのような言い方だ。
 いや、彼は本当に望みなど持っていなかったのだろう。自分を追いかけてきた怪しい術を使う怪しい娘に、藁にも縋る気持ちで声を掛けたに違いない。それが例え、大公国で魔女と蔑まれる存在であっても、彼には躊躇う時間がなかったのだ。
 エドウィンの戸惑いがちな問いかけに、リアは逡巡の末、大袈裟に項垂れてみる。

「協力しなかったら私を魔女として突き出すつもりなんでしょう?」
「そんなことはしません、誓って」

 一転して力強く肩を掴まれ、真剣な眼差しを注がれた。暫しその瞳を間近で観察したリアは、やがて満足げに頷く。

「うん、なら安心ね」
「……今、もしかしてからかわれたのかな、僕」
「さっきのお返しよ! あなた良い人そうだけど、やっぱ都会の男は信用できないのよね!」

 それを本人の前で笑顔で言い切ったリアに、エドウィンが何とも言えない表情を浮かべたのは言うまでもない。
 彼が絶句していることなど露知らず、リアは早速ベンチの荷物を抱えて立ち上がった。

「じゃあ日も暮れちゃうし、今日は取り敢えず解散ね。エドウィンは……そういえば何処に泊まってるの?」
「ああ、ええと……表通りの宿に滞在しています」
「うわ、あの高級宿!? さすが貴族ね、私ももうちょっと奮発しても良かったかも」
「差し支えなければ送りますよ」
「いいのいいの、一人で帰れるわ。エドウィンは郊外なんか来ちゃ駄目よ」

 軽い気持ちで申し出を断ろうとしたリアだったが、ふと彼の強張った表情に気付いては閉口する。

「リア、まさか郊外の宿を借りているのですか」
「え? そうだけど……だってその、そんなにお金持ってないし、長いこと貸してくれる宿も少なくて」
「危険です。せめて都市中心部の宿を取ってください。支払いなら私がしますから」
「ええ!? だ、大丈夫よ、今まで別に何もなかったし!」

 確かに郊外は危ない香りがぷんぷんするが、だからと言って伯爵にお金を借りるなんて畏れ多くて出来やしない。リアが断固として勧めを拒否していると、痺れを切らしたエドウィンが溜息交じりに肩を竦める。

「……夜盗があなたのような若い女性を狙って、暴行に及ぶ事件も多いのです。一人身なら尚更」
「う……な、なら宿まで一緒に来て。大丈夫だと思うけど……」