メイスフィールド大公国には不気味な呪いが存在する。

 今より三十年前、隣国のクルサード帝国による大規模な征服戦争が終結し、皇帝の弟であるメイスフィールド大公が戦勝の褒美として受け取ったのが、現在の大公国の領土だ。
 しかし初代メイスフィールド大公はその三年後に謎の死を遂げてしまう。はっきりとした死因は明かされず、病死ということで葬儀だけがしめやかに執り行われた。
 遠く離れたエルヴァスティ王国で生まれ育ったリアでも、その歴史は耳にしたことがある。と言うより、これは幼い子どもでも知っている基本的な史実なのだ。

 ──そして、後にやって来た凄惨な時代のことも。

「その二年後、大公国と帝国内で無差別の虐殺が行われました。メイスフィールド公が亡くなった原因は精霊にある、と教皇猊下が預言を受けたのです」

 大通りから外れた閑静な住宅街の広場。いくつかの小路が集合するその中央に、ぽつんと生えている大きな木の下、洒落たベンチに二人は腰掛けていた。
 狭い敷地の中で上へ上へと増築され、屋根のように覆い被さる民家の群れを仰ぎ、リアはぽつりと相槌を打つ。

「……魔女狩りね」
「はい。さすがにこれはご存知でしたかね」

 クルサード帝国には善神イーリルを崇拝する教会がある。ここメイスフィールド大公国も同じ宗教を信じているのだが、かの教義は些か過激であるとして有名だ。
 イーリルこそがこの全世界における唯一神であり、全てのあらゆる事象を導く全知全能の神である──つまり他の神的存在は例外なくイーリルよりも劣る、という認識が共有されていた。
 そこへ教皇の預言が重なり、それまで「神の遣い」と言われていた精霊が、一転して悪の権化として早変わりしてしまったわけだ。
 精霊と関わったとおぼしき者は、例えその痕跡がなくとも拷問に掛けられ、生きたまま火刑に処されたという。

 当時の人々の狂気を思うと、ぞっと背筋が冷える。リアは寒気を押さえ込むように、密かに腕を摩った。

「魔女狩りが七年ほど続き、ようやく皇帝陛下が鎮圧を終えた頃……大公家で不可解な事件が起きました」
「事件?」
「メイスフィールド大公の位を継いだ御方が、またもや急死したのです。その後も大公家からは二人の死者が出ています」

 静かな声で語るエドウィンの横顔は、神妙な色を宿していた。
 しかし大公の身内が立て続けに亡くなったという話を、リアは聞いたことがない。それほど歴史に明るい身でもないが、仮にも皇族の血縁である大公家の人間が続々と落命したとなれば、多少は騒ぎになるはずだ。

「あ……もしかして、それが呪い?」
「ええ。大公家の血縁者に現れる、正体不明の呪いです」
「ふぅ……ん……?」

 大公家の血縁者。
 リアは平然と頷きかけ、次第に眉を寄せていく。ぎこちない動きで隣を窺ってみると、じっと正面を見詰めていた菫色の瞳がそっと寄越された。

「何でしょう?」
「いや何でしょうじゃない! あなた、その呪いに掛かってるんでしょう? じゃあ、つまり、その」
「あ。すみません、このことは口外しないでくださいね」
「違う、そこでもない!」

 くすくすと肩を揺らしている姿を見るに、彼はどうやらリアの反応を見て楽しんでいるようだ。
 やはり都会の男は油断ならないと悔しげに歯噛みしつつ、彼女はぐっと抑えた声で確認する。

「エドウィン、あなたも大公家の縁者なのね?」
「はい、ゼルフォード伯爵の地位を戴いてます」
「はく……っ」

 それ以上の声が出てこなかった。
 大公家の親戚、しかも伯爵を物乞いまたはナンパと決めつけていた自分を思い出しては、みるみる青褪める。

「ごめんなさいっ、私ったら失礼な態度ばっかり!」
「え!?」

 ベンチの上で平伏しようとした彼女に気付き、エドウィンは慌てて笑みを引っ込めた。リアの肩を掴んではぐいと持ち上げ、元通りにきちんと座らせる。

「気にしないでください。女性なんですから、常にあれぐらい警戒すべきですよ。畏まる必要もありません」
「う……そ、そう? なら良いけど……でも」

 女性扱いされて照れる暇もなく、リアは説明を聞きながらずっと感じていた疑問を口にした。

「エドウィン、私は確かにエルヴァスティ出身で、薬師……みたいなことしてるけど、どうしてそんな深刻な話を? それにその呪いの内容もよく分からないわ」

 正体不明の呪いで死者が出ているなど、大公家の機密事項に抵触する内容ではなかろうか。
 他国に呪いの存在を知られぬよう、メイスフィールドは厳重に情報を管理しているだろうに──田舎者で余所者のリアに、おいそれと話してよかったのだろうかと。
 リアの不安げな問いに、エドウィンは特に焦った様子もなく、自身の滑らかな顎を親指で摩る。

「ああ、それは……リアは覚えていませんか? つい数日前に僕、あなたに追いかけ回されたんですが」
「……へ!?」