私、梢初子に突然の特命と異動が下ったのは二十六歳の春のことだ。
代表取締役頭取である文護院士郎氏たっての要請で、単身上京してきてそろそろひと月が経とうとしている。
私は本店営業部四階の支店長室に詰め、今日の稟議書をまとめていた。午前八時ちょうどにドアが開く。

「おはよう、梢」

現れたのは文護院連。
この文治銀行本店の支店長であり、上階にある文治銀行本部では常務取締役執行役員という肩書を持っている。本店営業部は大手町の文治銀行ビルにあり、支店を束ねる立場にあるが、支店のひとつでもあるため、連さんの呼称は『支店長』である。私は彼の直属の部下でありながら、彼の下命により『連さん』と呼んでいる。

「おはようございます」
「朝食は食べたか? このあたりで美味い朝食が食べられるカフェはいくつか知ってる。今度一緒に行くか」
「は……ありがとうございます。ですが自炊していますので」
「たまにはカフェで朝食もいいものだぞ。俺は毎日、そんな感じだ」

からっと笑うこの人は明るく、誰に対しても人懐っこい態度を示す。
三十二歳にして要職についている重責など微塵も感じさせない。