感情を取り戻せたあの日以来、わたしは食べて寝て、起きてはまた食べて、時には笑うこともできるようになっていった。
そしてどうにか、弘也さんと二人で暮らしていたマンションにも戻ってくることができた。
最初はどうなることかと不安もあったが、一度鍵を開けてしまえば、そこは弘也さんとの思い出に溢れる空間で、それが辛くて涙を流すこともあったけれど、楽しい記憶は新鮮に蘇ってきて、いつもわたしを優しく癒してくれるのだった。
一時はどうなることかと思ったが、この調子だったら復職も叶いそうだと、わたしは部屋のそこかしこに残っている弘也さんの気配に励まされる思いで、生きていく未来を見据えていた。
そんなある日、手元に置いてあった弘也さんの携帯が鳴った。
あの事故のあと、各方面への連絡などに必要で、一旦は弘也さんのお父様に預けていたのだけど、わたしが落ち着いてきたこともあり、わざわざお父様が実家にまで届けてくださったのだ。
翌週には仕事復帰を予定していた、土曜日の夜のことだった。
画面には、”姉貴” の文字。
わたしは、これまでお会いする機会を失っていたお姉さんに、少しの緊張をおぼえつつ、電話に出たのだった。
「―――はい、もしもし」
《あ、もしもし?こんばんは。加恵ちゃん?》
明るい声は、弘也さんとイメージが重なった。
「はい。はじめまして、雪村 加恵です」
《ああ、そういう堅っ苦しいのはいいから。弘也からよく話は聞いてたのよ。姉の弘美です。弘っていう字は弘也の弘と同じなの》
人懐こい感じの物言いに、やはり弘也さんと姉弟なんだなと思った。
「あの、このたびは………申し訳ありませんでした」
弘也さんはわたしを庇ってああいう事になってしまったわけで、ご家族からしたらわたしは恨まれる存在であってもおかしくはない。
弘也さんのお父様やご親戚方はいっさいそんなことを仰らなかったけれど、はじめて言葉を交わすお姉さんがどういう思いをお持ちなのかは計り知れないのだから。
だがお姉さんは、《ああ、もう!》と、焦れたような反応をした。
《だからそういうのはいいのよ。弘也を失った悲しみは、あなたも同じでしょう?》
その返事に、わたしは、思わず口を覆っていた。そうでもしていないと、ふいに襲ってきた嗚咽が、お姉さんにまで伝わってしまいそうだったからだ。
けれどお姉さんにはお見通しだったようで、
《やっと泣けるようになったのね……》
そう言って、しばらくの間、会話を中断してくれたのだった。
そしてそのあと、
《ところで、加恵ちゃんに見せたいものと渡したいものがあるから、明日にでも会えないかしら?》
お姉さんは、まるでショッピングにでも誘うようなトーンで、初対面の約束を取り付けてきたのだった。