映像越しだというのに、みんなの感情や記憶が――まるで、自分が経験した出来事かのようにダイレクトに頭の中へ入ってきて、精神をかき乱す。

「はっ、はぁっ……!」

 脳みそがキャパオーバーを起こして、息を上手く吸えなくなってきた時。映像はプツンと途切れ、先ほどまで押し寄せていた黒い感情の波がゆっくりと引いていく。
 何度か深呼吸を繰り返している間に景色は元へ戻り、エースは片手に持っていた懐中時計の蓋を閉じてしまった。

「……ランク持ちとの間で起きたアリスの関わる主な出来事と、アリスが初めてこの世界へ来た時の記憶はこれで終わりだ」
「えっ……?」

 彼はなぜか目を合わせようとせず、どこか遠くを見たまま無機質な声で言葉を紡ぐ。
 少しの間を置いてから、エースは私の目線が自身に向いていると気付いたらしく、手に持っていた懐中時計を少し苛立ったような荒い手つきでポケットへぐいと押し込んだ。
 その眉間には、深いシワが刻まれている。

「……でも……私はまだ、自分の過去について全てを思い出せていないわ」

 そう。エースは「これで終わりだ」と言ったけれど、絶対に“足りていない”のだ。
 たしかに、初めてこの国へ来た時の事や、それ以前――現実世界で過ごしていた日の事は全て思い出せたのだが……『それ以降』の記憶には空白期間がある。
 まるで、意図的に記憶を欠落させられているかのように。

「まだ、続きがあるんでしょう? お願い、ちゃんと全部教えて?」

 しかしエースは、足元に目線を落とし生気のない声で呟く。

「思い出しても、アリスが傷つくだけだ」
(それは、どういう意味なの……?)

 彼のこぼす言葉の真意が、私にはわからない。
 思い出せば私が傷つくだなんて、ここまできたらもう今さらの話なのではないだろうか?

「……アリスはまだ、兄がすでに亡くなっていることを信じていないのだろう?」
「そんな、の……だって、当たり前じゃない。何を言っているの?」

 ジョーカーお兄様は、まだ生きている。死んでなんかいないと、確証を持って言える。
 なんせ私は、この世界に来る直前までずっとジョーカーお兄様と一緒に過ごしていたのだから。

(そうよ……一緒にいた、間違いないわ)

 いつものように、お庭で二人仲良く遊んでいた。それだけはたしかに覚えている。
 急に私がいなくなったものだから、きっと今頃ジョーカーお兄様はあちこち探し回ってくれているのだろう。

 ――……とても、優しい人だから。

 これ以上お兄様に迷惑をかけてしまう前に、私はあちらの世界へ帰らなくてはいけない。

「……ジョーカーお兄様は、死んでなんかいない。まだ、生きているわ……」

 私の言葉を聞いてエースはゆっくりとした動きで顔を持ち上げると、お兄様によく似た緑の瞳に私を映した。

「先に言っておこう。私は……『現実』は今から、アリスを深く傷つける事になる」
「……現実……?」
「……初めてこの国へ来た時のアリスが元の世界に帰ってから、再びこのワンダーランドへやって来る直前まで……その期間、ずっと一緒に過ごしていた『兄』は、」

 エースはそこまで言うと一旦言葉を切って目を瞑り、何度か深く息を吸う。
 少ししてから、瞼を持ち上げた彼は私をまっすぐに見据え、はっきりとした声でこう告げた。

「……“あれ”は、アリスの知る『兄』じゃない。ジョーカー……サタン・ジョーカーだ」