――……ああ、もう無理だ。

「……だ、」
「キング……? 何じゃと……?」
「…………嫌、だ……」

 処刑なんて、したくない。
 花屋のことも、ジャックのことも――罪の無い人間をこれ以上、女王のご機嫌伺いのためだけに殺すなんて御免だ。
 生活が苦しいと訴えるのなら援助したいし、謀反を企てた住民達の件も……殺すのではなく、和解したかったのに。

(全部、全部……っ!!)

 ――……ただ、助けたかった。
 アリスのために、手を貸したかった。だって、俺は『王様』だから。

(それなのに、)

 どうして俺は、本心と真逆の行動を強要されているんだ?
 思ってもいないことを、言わなければいけないんだ?
 これ以上、女王の言いなりになんてなりたくない。

(こんなことなら、俺は……)

 初めから分かっていれば――人形でしかない『役立たずの王様』だと知っていたなら、俺は……ずっと、眠ったままでいたのに。

「……っ、もう……全部全部、嫌なんだよ!!」
「!?」

 目をつむり心の底から湧いた言葉をまっすぐに叩きつけた瞬間、ガラスの割れるような音が耳に届く。
 ゆっくりと瞼を持ち上げれば、視界に飛び込んできた景色は白と黒の二色で形成されたどこかの庭だった。

(……? どこだ、ここ……)

 今の一瞬で何が起きたのかわからず呆然と立ち尽くす俺の肩を、背後にいたらしい誰かがとんと軽く叩いてくる。

「やあ、キング。ご機嫌いかがかな?」
「……エース……」

 振り返れば、宙に浮いたまま口元に弧を描くエースの姿があった。

(どうなってるんだ……?)
「ここは『私』の固有空間だよ。ああ、安心してくれ。決して夢ではない」

 黒ウサギの飼い主でもある、公爵・エース。こいつこそが、この世界を総括する『ルール』と呼ばれる存在だ。
 王や女王よりも遥か上に立つ者で、総体的な“力”だけで言うのであれば、間違いなくこの国の中で最も強力だと言えるだろう。
 だからこそ、ランク持ちは皆こいつの決めたルールを素直に守り、従っている。

「……おうさま?」

 そしてそのすぐ側には、驚いたように目を丸めて俺を見るアリスがいた。

「ふふ……ようやくルールを“破ってしまった”な、キング」

 エースは楽しそうにそう言いながらアリスを抱き上げ、身軽な動きで宙を歩きこちらへやって来る。
 そして、まるで割れ物でも扱うような手つきで優しくアリスを降ろしてから、エースは喉を鳴らして笑った。

「だから私が“最初”にあれほど確認したというのに……」
(……あんな遠回しな言い方でわかるわけないだろ……)
「……悪かったな。直球で告げてしまうと『私』の言葉は少々他人を傷つけすぎる。これでも、受け身をとる前に現実を突きつけてしまわないよう、常に気をつけて発言しているつもりなんだが……」

 俺の思考を見透かしたように目を細める公爵。
 いや……事実、ルールであるこいつには考えが読めているのかもしれない。

「さて……経緯や理由はどうであれ、ルール違反を犯したキングには罰ゲームを課さなければならない」
「罰ゲーム……?」
「……ルールの一つも守れない者を“王の役割にしておくわけにはいかない”と、そうは思わないか? アリス」

 エースはそう言って、悲しげな瞳に俺を映すアリスへ目をやった。

「おうさま……」

 小さな両手をこちらへ伸ばす少女の前で片膝をつけば、彼女はそっと俺の髪を撫でてくる。
 空色のビー玉をまっすぐに見つめ返すと、俺が口を開くよりも先にアリスはぽつりと言葉を落とした。

「おうさま……アリスはね、おうさまの『ほんとうのきもち』がききたいよ」
「……アリス……」
「アリスはまだ……おうさまが、ほんとうはどうおもってるのかとか、なにかんがえてるのかとか……ぜんぶ、きけてないもの」

 本当の、気持ち……俺自身の、考え。
 そんなもの、ずっと押し殺してきた。そうしなければ、ならなかった。

「エースにきいたよ。おうさまにもできることがあるみたいに……アリスにもちゃんと、できることがあるんだよ」
「出来ること……?」
「うん」

 もう一人の俺が、耳元で囁き続けている。
 感情は殺せ、何も考えるな、他人なんて信じるな。みんな俺のことが嫌いだから、陥れようとしているんだと。

(そうだったら……俺は、どうすれば……)
「さっき、ぜんぶきいたの……いままでいっぱい、がんばったんだね。すごいね」

 アリスの言葉だって、どうせ嘘に決まっているんだ。

「もう、つかれたよね。いっぱいいっぱい、いやだったよね」

 きっと、俺を騙して弱味を握ろうとしている。



 ***



「……キング。あんな小娘の言葉に耳を貸すな」

 でも……もしかしたら、

「お前も言っていただろう? その通りだ。あんなガキに何ができる?」

 アリスなら、きっと。

「甘い言葉は、どうせ口先だけのまやかしに決まっている」
「……ルールを執行する。“貴様”は少し黙っていろ。邪魔をするな」



 ***



「おうさま……もう“だいじょうぶ”だから、アリスにおしえて?」
「……っ、」

 心臓が早鐘のように打って、口から吐き出してしまいそうだ。

「……俺、は……」

 なんとか絞り出した声は掠れており、アリスに伸ばした両手はみっともないほどに震えている。

「……アリス、俺は……」

 それでも――アリスは笑ったりせずに、そっと握り返してくれた。
 手袋越しに伝わる体温が、俺の心を縛り付けていた鎖を少しずつ溶かしていく。

「……っ、俺は……もう、女王の言いなりになって生きたくない……俺は、人形じゃない……」
「うん」
「花屋の処刑も、本当は……辞めさせたい、助けたい……でも、今の俺じゃ何もできない……! 俺は『王様』で、何も意見を言えないから……っ!!」
「……うん」
「……辛い、苦しい……もう、嫌だ……俺は、どうしたらいい……? 助けてくれ、アリス……」

 大の大人が少女にすがりついて泣くなんて、無様にもほどがある。
 歪む視界の中、アリスは俺の頬を小さな両手で包み込んで優しく微笑んだ。

「おうさま……アリスに“ほんとうのきもち”をおしえてくれて、ありがとう」
「……っ、アリス……」
「もう、だいじょうぶ。アリスが、たすけてあげるから」

 小枝のように細い指が、俺の右目を隠していた眼帯をそっと外す。

「……とけいの“め”、とってもきれい」

 この国や住民全ての時間を操る能力の代償として、俺は人間としての自由を奪われた。
 元凶とも呼べるそれは俺の右目となり、無限の時を刻んでいる。
 忌々しいその瞳を見て、アリスは花が咲くような笑みを浮かべた。

「あなたは、きょうから『とけいや』のやく。もう『おうさま』やくじゃない。ただの……やさしい、とけいや」
「……時計屋……」
「そう。だからもう、じゆうだよ。とけいやさん」

 アリスは一度俺の頭を撫でてから、エースの方を振り返る。

「きいたでしょう? エース。アリスはもう、そうきめたの」
「ああ、勿論。しっかり聞いていた。そして、私は“アリスの命令”に従うしかない」

 エースが指を鳴らすと、空中に「ルール変更」という文字が浮かび上がり、

「では……ルール違反者のキングに、アリスの決めた罰ゲームを執行する」
「……!?」
「今この時をもって……キングから『王』という役割を剥奪し、今後は『時計屋』として生きることを命じる」
「……エース、」

 俺の頭上で主張していたはずの王冠は糸で操られるみたいにふわりと宙を移動して、エースがもう一度指を鳴らせばそれはぱちんと弾けて消え去った。
 瞬間――モノクロの世界はステンドグラスのように砕け散り、元いた場所へ戻ってくる。

『もう、じゆうだよ』

 ――……そうだ。俺は、もう『王』じゃない。

「……っ、処刑なんてしたくない……!!」
「――!!」

 叩きつけるように叫ぶと、何かを察したらしい女王は大きく目を見開いた。

「キング、貴様……もしや……ルールを破ったのか……?」

 この世界において、役割やランクを自主的に変える事は決して許されない。
 ルール違反を犯すというのは、万死に値するほど重大な罪だからだ。
 みんな、エースからの『罰ゲーム』を恐れている。

「……ああ、そうだ。俺はもう、王じゃない。だから……お前の言うことなんて聞かない」
「……そんな……嫌じゃ、嫌じゃ……っ!!」

 女王は数歩後ずさると、両手で頭を抱えたままかぶりを振った。

「どうして……!? 私はきちんと『クイーン』を演じているでしょう……!? 女王役をちゃんとできてる! 白ウサギはそう言ってくれる! なのに、それなのに、どうしてどうして!? キング! 貴方はなんで私を認めてくれないの!? 貴方は私のものなのに!!」
「……じょおうさま?」
「アリス……ねえ、アリスアリス……! アリスもそう思うでしょう? 私はちゃんと『女王様』の役を演じてる……!!」

 膝から崩れ落ち、その場でぼろぼろと涙を流す女王に歩み寄ったアリスは、すがりついてくる彼女の頭を優しく撫でる。

「うん……じょおうさまは、いつも『じょおうさま』だね。このくにも、じょおうさまのものだよ。でも……『キング』はじょおうさまのものじゃないの。あのひとは、だれの“もの”でもないんだよ」
「……っ!!」
「クイーン、これはアリスと私で決めた罰ゲームだ。どんな異論があろうと、決まった事には従ってもらう」
「……そう……」

 エースが釘をさすように言えば、女王は不気味なほどに落ち着きを取り戻して立ち上がり、アリスを一度抱きしめてから俺に向き直りこちらへ歩み寄ってきた。

「……役割の変更と、処刑の取り消し……それが他ならぬ大好きな“アリス”の望みならば、私は従うわ。なんせ、私はこの国を治める女王じゃ」
「クイーン……」
「キング。貴様のわがままにも、今回だけは付き合ってやる……今はアリスと愚かな公爵の顔を立ててやろうぞ。ただし、」

 俺のすぐ隣に立つ女王はその瞳にまっすぐと俺を映し、口元に弧を描きながら声を潜めてこう告げる。

「キング。貴様はもう二度と、私の前に姿を見せるな。視界に髪の毛の先一本でも映ってみろ、その時は……アリスも、ジャックも、花屋も。貴様が大切にしている者を全て、私が皆殺しにしてくれるわ。貴様が、私から大切な『王』を奪ったようにな……」



 ***



「いやー! よかったよかった!」
「ありがとう。まさに九死に一生を得たよ、キング」

 花屋をクローバーの街まで送り届ける道すがら、ジャックはからからと笑いながら俺の肩を遠慮無く叩き、花屋は「アリスも、ありがとうな」と、その腕に抱きかかえている少女に向かって微笑んだ。

「あの時のキング、すごくかっこよかったんだぜ!!」
「……! はなやさんだって、とっても、とーっても! かっこよかったんだよ!」

 ぐっと親指を立てて言うジャックに対抗するように、アリスは両腕を大きく振って主張する。

(……花屋と二人きりの間に何かあったのか……?)
「かっこいい……? 生まれて初めて言われたぞ、アリス……俺は『かっこいい』のか……?」
「うん! すごくすごく、いっぱい! かっこいいよ!!」
「そうか……そうだな!!」

 嘘など微塵もついてないと物語るような、満面の笑みを浮かべるアリス。
 花屋は嬉しそうに顔をほころばせてアリスの頭を撫でると、自信満々に表情を輝かせて言い放った。

「だよな……! 俺は『綺麗』でも『可愛い』でもない! かっこいいよな!!」
「……ナルシストなのはどうかと思うぞ、花屋」
「……? なるしすと……?」
「なんだキング! はっ……そうか、わかったぞ……悔しいんだな? 俺のかっこよさが羨ましいんだろ?」

 一瞬、花屋の言葉を肯定しそうになる。
 けれど……俺はもう自由で、自分の意思を口から出しても許されるのだと思い出し思わず口元が緩んだ。

「……ははっ、なに言ってるんだ。そんなわけないだろ」

 するとジャックは、そんな俺を見てぽつりと呟く。

「……良かった。やっと見れた」